種痘館(読み)しゅとうかん

世界大百科事典(旧版)内の種痘館の言及

【伊東玄朴】より

…32年(天保3)佐賀藩主鍋島侯から一代士分に取り立てられている。58年(安政5)江戸神田お玉ヶ池の種痘館(のちの種痘所西洋医学所)の設立に尽力,同年戸塚静海とともに幕府奥医師に登用され,幕府医官に西洋医学採用の道を開いた。法印に叙せられ長春院の号を賜った。…

【種痘所】より

…俗にお玉ヶ池種痘所といわれ,天然痘を予防するために,ジェンナー式牛痘接種法の実施・普及をはかる目的で,1858年(安政5)に江戸在住の蘭方医たちが幕府の許可を得て神田お玉ヶ池に開設した私営の医療施設。当時は種痘館と称し,種痘事業ばかりでなく西洋医学の講習も行われ,江戸における西洋医学の拠点となった。のち60年(万延1)10月幕府の所管となり種痘所と改称,さらに翌年幕府の西洋医学校となった。…

【西洋医学所】より

…江戸幕府の西洋医学校。安政5年(1858)1月幕府の許可を得て伊東玄朴,戸塚静海,大槻俊斎,林洞海ら江戸在住の蘭方医83人が神田お玉ヶ池に設立した私営の種痘館がその前身で,同年5月に開所したが12月の神田大火で類焼,翌年再建された。万延1年(60)10月幕府の直轄となり種痘所と改称,翌年西洋医学所と改称されて大槻俊斎が初代頭取となり,教授,解剖,種痘の3科が発足した。…

※「種痘館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」