秋葉隆(読み)あきばたかし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「秋葉隆」の意味・わかりやすい解説

秋葉隆
あきばたかし
(1888―1954)

文化人類学者、社会学者。千葉県に生まれる。1921年(大正10)東京帝国大学社会学科卒業。1924年京城(けいじょう)帝国大学助教授となり、欧米留学後に同大学教授となる。ウェスターマークの影響を受け、朝鮮を中心に東北アジアシャーマニズムの研究にあたり、1943年(昭和18)文学博士。第二次世界大戦後は九州大学講師を経て、1949年(昭和24)愛知大学教授に就任、それぞれ社会学を担当しつつ文化人類学の日本における開拓者の一人として活躍した。主著に『朝鮮巫俗(ふぞく)の研究』2巻(共著・1937、1938)、『満蒙(まんもう)の民族宗教』(共著・1941)、『朝鮮巫俗の現地研究』(1950)、『朝鮮民俗誌』(1954)がある。

中野 卓 2018年11月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「秋葉隆」の意味・わかりやすい解説

秋葉隆 (あきばたかし)
生没年:1888-1954(明治21-昭和29)

民族学者。千葉県生れ。1921年東京帝国大学社会学科を卒業後,1924-45年,京城帝国大学の社会学科に奉職した。その間1924-26年ロンドン大学,パリ大学で民族学,社会学を研究,マリノフスキー,ラドクリフ・ブラウンらの影響を受けた。帰国後は朝鮮および満州,蒙古の民俗・社会の調査研究に従事し,シャマニズムを中心に,村落社会親族民間信仰に関する多大な業績を残し,泉靖一らの弟子を養成した。村の祭りと家の祭りにみられる儒式と巫式の二つの儀礼体系の相互関係を論じた〈朝鮮社会・文化の二重構造モデル〉は,今日も多くの研究者によって受け継がれ展開されている。戦後は九州大学講師を経て49年より愛知大学教授。《満蒙の民族と宗教》(赤松智城と共著,1941),《朝鮮巫俗の研究》(同,1937-38)は貴重な業績であり,《朝鮮民俗誌》(1954)は名著と評される。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「秋葉隆」の意味・わかりやすい解説

秋葉隆
あきばたかし

[生]1888.10.5. 千葉
[没]1954.10.16. 東京
社会学者,文化人類学者。文学博士。 1921年東京帝国大学社会学科卒業。イギリスフランスに留学後,京城帝国大学 (現ソウル大学) ,愛知大学の各教授を歴任。京城帝国大学在任中,特に朝鮮,中国東北地方のシャーマニズムの研究に従事し,現地調査に基づいて,この方面に大きな業績を残した。主著に,赤松智城との共著『朝鮮巫俗の研究』 (1937~38) ,『満蒙の民族と宗教』 (41) のほか,『朝鮮民俗誌』 (54) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秋葉隆」の解説

秋葉隆 あきば-たかし

1888-1954 昭和時代の文化人類学者。
明治21年10月5日生まれ。イギリス,フランスに留学後,京城帝大教授となり,約20年にわたり朝鮮,満州(中国東北部),モンゴルのシャーマニズムなどを実地調査。昭和24年愛知大教授。昭和29年10月16日死去。66歳。千葉県出身。東京帝大卒。著作に「満蒙(まんもう)の民族と宗教」(赤松智城との共著),「朝鮮巫俗(ふぞく)の現地研究」など。

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