秋広平六(読み)あきひろ・へいろく

朝日日本歴史人物事典 「秋広平六」の解説

秋広平六

没年:文化4.4.22(1807.5.29)
生年:宝暦7(1757)
江戸中期の殖産興業家。伊豆大島波浮港の開削者。上総国周准郡(君津市)秋元村に生まれ,同郡市宿村秋広家に養子寛政2(1790)年幕府の医官田村玄長が伊豆諸島で薬草採取のとき案内役を務める。大島には良港がないので波浮港の開削を志し,幕府掛奉行の斡旋で開削を出願,同12年3月着工,8月竣工。小田原地震(1703)の津波で三原山の側火山の火口壁が崩れ海に通じた所を開いたもので,松前御用船風待港といわれ,平六は伊豆国付波浮港引受人を命ぜられた。生地付近で馬鈴薯のことを平六芋というのは,平六に関係があるという。<参考文献>立木猛治『伊豆大島志考』『増訂豆州志稿 伊豆七島志』

(若林淳之)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秋広平六」の解説

秋広平六 あきひろ-へいろく

1757-1817 江戸時代後期の殖産家。
宝暦7年生まれ。寛政2年幕府の医師田村元長(げんちょう)の薬草採集の案内役として伊豆(いず)大島にわたる。のち幕命で炭焼き指導御蔵(みくら)島,三宅(みやけ)島などへもしばしばわたる。波浮(はぶ)港開削を計画,許可をえて12年完成させた。また,利島に椿をうえた。文化14年4月22日死去。61歳。上総(かずさ)(千葉県)出身。名は盛信。

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