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明治・大正期の新聞記者、史論家。本名誠。別号は健日別、青天など。安政(あんせい)4年6月14日筑前国(ちくぜんのくに)(福岡県)生まれ。幼少より向陽義塾(玄洋社の前身)で経書を学ぶ。司法省法学校に入学したが、陸羯南(くがかつなん)らと寄宿舎の賄征伐事件(まかないせいばつじけん)を起こしたため退校処分を受ける。1888年(明治21)羯南が創刊した『東京電報』に入社。以後、同紙を改組した『日本』の編集幹部として活躍。姉妹誌である『日本人』にも多く寄稿した。1889年以来数回にわたりフィリピン、東南アジアを視察。この経験をもとに南進論を主張し、東邦協会を設立した。1905年(明治38)『九州日報』の社長兼主筆に就任。社内改革を推進した。1908年衆議院議員に当選。1909年『九州日報』を退社、以後はおもに文筆活動と政治活動にあたる。とくに歴史論に優れ、『元禄快挙録(げんろくかいきょろく)』はベストセラーとなった。このほか『清教徒神風連(しんぷうれん)』など多くの史論がある。また対外硬派としてさまざまな運動に参加した。大正10年9月2日死去。
[有山輝雄]
『『日南集』(1910・東亜堂書房)』
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明治・大正期のジャーナリスト,史論家。本名は誠。福岡藩士の長男に生まれ,司法省法学校に学ぶが,1879年学校騒動で退学。自由民権論を唱え,北海道開拓に携わる。89年新聞《日本》の記者として筆をふるう一方,南方雄飛の志を抱きフィリピンに渡る。日清戦争後はフィリピン独立運動に参加し,中国問題に関心を寄せる。1905年玄洋社の機関紙《九州日報》社長となる。代議士も務めたが,《元禄快挙録》で史論家の地位を確立し,赤穂義士の研究にうちこんだ。第1次大戦に際し,国民精神の高揚を意図して,16年中央義士会を興した。
執筆者:広瀬 玲子
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(小宮一夫)
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