神谷潤亭(読み)かみや・じゅんてい

朝日日本歴史人物事典 「神谷潤亭」の解説

神谷潤亭

没年:天保年間頃(1830~44)
生年天明3(1783)
江戸後期の一節切尺八の奏者。一思庵不学と号する。本業は江戸の町医者。当時,ほとんど滅亡していた一節切尺八再興するために,これを小竹と改称し,それまでの指田流レパートリーに加え,多くの自作新曲,箏や三味線との合奏曲を発表した。記譜法にも新しい工夫を加え,多くの楽譜や解説書を著作刊行した。指田流一節切13世宗家を名乗り,門弟伊能一雲と共に普及に努めたため,天保年間ころまでは一部の好事家に吹かれたが再興は成らず,その後まったく絶えてしまった。<著作>『糸竹古今集』『一節切温故大全』『竹の根分』『糸竹五色貝』『十二調子名義考』『竹の鳰ひ』

(志村哲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「神谷潤亭」の解説

神谷潤亭 かみや-じゅんてい

1783-? 江戸時代後期の尺八奏者。
天明3年生まれ。本業は医師。当時ほとんどほろんでいた一節切(ひとよぎり)尺八の復興はかり,これを小竹とよんで新曲を多数発表。指田(さしだ)流一節切13代宗家を名のり,弟子の伊能一雲とともに普及につとめた。通称は泰介,弘之。別号に一思庵不学。著作に「糸竹古今集」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の神谷潤亭の言及

【一節切】より

…急速な衰微の原因は,音量,音域など性能の点で普化尺八に劣ったこと,なかんずく17世紀以後の日本音楽で支配的になった都節音階(半音を含む5音音階)の吹奏に適さなかったことに求められる。19世紀初葉にいたり,江戸の町医者神谷潤亭(1783?‐?)が細々と伝承されていたこの楽器に着目し,一節切を〈小竹(こたけ)〉と改称し,古伝の曲に自作の新曲を加えて《糸竹古今集》(1818)その他多数の譜書を著してその復興に努めたが,一部の好事家の関心を集めただけで,19世紀後半以後,一節切はまったく絶えてしまった。尺八【上参郷 祐康】。…

※「神谷潤亭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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