磐余(読み)イワレ

デジタル大辞泉 「磐余」の意味・読み・例文・類語

いわれ〔いはれ〕【磐余】

奈良県桜井市南部の古地名。5、6世紀ごろの大和国家の政治中心地。[歌枕
「つのさはふ―も過ぎず泊瀬山はつせやま何時いつかも越えむ夜はふけにつつ」〈・二八二〉

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日本歴史地名大系 「磐余」の解説

磐余
いわれ

日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年九月五日条の神武東征神話に「兄磯城の軍有りて、磐余邑に布きいはめり」、同己未年二月二〇日条に「夫れ磐余の地の旧の名は片居かたい片居、此をば伽韋と云ふ。亦は片立と曰ふ。片立、此をば伽知と云ふ。我が皇師の虜を破るに逮りて、大軍集ひて其の地にいはめり。因りて改めて号けて磐余とす。或の曰はく(中略)磯城の八十梟帥、彼処に屯聚いはみ居たり。屯聚居、此をば怡波瀰萎と云ふ。果して天皇と大きに戦ふ。

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改訂新版 世界大百科事典 「磐余」の意味・わかりやすい解説

磐余 (いわれ)

奈良県桜井市南西部の池の内,橋本,阿倍から橿原市東池尻町を含む同市南東部にかけての地名。石村,石寸とも表す。《日本書紀》には,神武東征神話の中に磐余邑の起源説話がみえるほか,5~6世紀の天皇の宮号として磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや),磐余甕栗宮(みかくりのみや),磐余玉穂宮(たまほのみや),磐余池辺双槻宮(いけのへのなみつきのみや)がみられる。《万葉集》の大津皇子の歌などにも詠まれた磐余池は,いまもその痕跡をとどめるが,用明天皇の磐余池辺双槻宮や磐余池上陵(いけのえのみささぎ)はこの池の近くに営まれた。ヤマト王権の中心は一時期この地にあったとみられる。
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百科事典マイペディア 「磐余」の意味・わかりやすい解説

磐余【いわれ】

《日本書紀》《万葉集》に見える地名。石村とも。奈良県桜井市の南西部から橿原(かしはら)市の南東部にかけての地域。《日本書紀》のいわゆる神武東征神話の中に磐余邑の地名起源説話がある。神武天皇和風諡号(しごう)はカムヤマトイワレビコ。同書には履中天皇磐余稚桜(わかさくら)宮,清寧(せいねい)天皇磐余甕栗(みかぐり)宮,継体天皇磐余玉穂宮,用明天皇磐余池辺双槻(いけべなみつき)宮などがみえる。《万葉集》の大津皇子の歌に磐余池が詠まれる。磐余野と共にのちに歌枕になる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「磐余」の意味・わかりやすい解説

磐余
いわれ

奈良県中部、桜井市阿部地区付近の古地名。天香久山(あめのかぐやま)北東麓(ほくとうろく)にあたり、大和(やまと)朝廷の政治的要地であった。『日本書紀』によれば、履中(りちゅう)天皇の磐余稚桜宮(わかさくらのみや)のほか、清寧(せいねい)天皇、継体(けいたい)天皇などの皇居があったといわれる。大津皇子(おおつのみこ)の「百(もも)伝ふ磐余の池に鳴く鴨(かも)を今日(きょう)のみ見てや雲隠(くもがく)りなむ」(『万葉集』巻3)や『日本書紀』に記された磐余池は、桜井市大字池之内から橿原(かしはら)市東池尻町付近にあったと推定される。

[菊地一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「磐余」の意味・わかりやすい解説

磐余
いわれ

奈良県桜井市阿部付近の古地名。履中,清寧,継体,用明天皇らの皇居のあった地域で,5~6世紀頃の要地。

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世界大百科事典(旧版)内の磐余の言及

【大和国】より

…ヤマトの範囲は初瀬川の流域で,三輪山と香具山を結んでできるデルタ地帯(第一次ヤマト)である。シキ(磯城)やイハレ(磐余(いわれ))地域が第一次ヤマトに相当する。香久山は代々の大王の国見儀礼の舞台であるとともに,その土が呪力あるものとされ,神聖視されていた。…

※「磐余」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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