碇ヶ関村(読み)いかりがせきむら

日本歴史地名大系 「碇ヶ関村」の解説

碇ヶ関村
いかりがせきむら

[現在地名]碇ヶ関村碇ヶ関

北へ流れるひら川が大落前おおらくまえ川と小落前こらくまえ川を合流する地点に位置し、北は古懸こかけ村、西は島田しまた(現大鰐町)南東久吉ひさよし村に接し、南に秋田領との境をなす矢立やたて峠がある。

天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「いかりの 関」とみえる。詳細は不明だが、永野ながのに室町時代中期野付のづき古館、白沢しらさわに戦国時代末期のカナド館、樋ヶ沢といがさわに同末期の樋ヶ沢館、小高森こたかもりに天正(一五七三―九二)頃の小高森館が存在し(日本城郭大系)、この地域が津軽南端の関門として重要であったことを意味する。

正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の平賀ひらか郡に一三四・三七石、うち田方は一二五・〇四石とある。貞享四年(一六八七)検地帳によれば、田畑屋敷合せて一三〇町九反四畝一〇歩、村高六五六・二〇七石とある。うち田方は七〇町二反八畝九歩、五〇一・三八三石、上田から下々田まで設定され、下田が二六町八反二五歩、一三四・〇四二石、中田一八町六反九畝一三歩、一六八・二四九石とあり、畑方は六〇町六反六畝一歩、一五四・九二四石、上畑から下々畑までで、下々畑が三二町二反八畝一七歩、三二・二八六石、下畑一五町三反五畝五歩、四六・〇五五石、屋敷二町四反七畝一歩のうち二畝一二歩が郷蔵屋敷である。

碇ヶ関村
いかりがせきむら

面積:一〇五・〇一平方キロ

南津軽郡の最南端にあり、北東平賀ひらか町、北と西は大鰐おおわに町、南は秋田県大館おおだて市と同県鹿角かづの小坂こさか町に接する。周囲を山地で取囲まれ、そのなかを岩木川の支流ひら川が遠部とおべ沢・津苅つがり(津苅沢川)小落前こらくまえ川・大落前おおらくまえ川・不動ふどう川・ノ沢などを合流して北流する。大部分が国有林で低地が少なく、米と林檎が主産で、木材の産出植林が盛んである。

藩政時代は「津軽三関」の一つがあり、当関を通る道は参勤交代路であり、藩内で最も重要な位置を占めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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