石舞台古墳(読み)いしぶたいこふん

精選版 日本国語大辞典 「石舞台古墳」の意味・読み・例文・類語

いしぶたい‐こふん【石舞台古墳】

奈良県高市郡明日香村島ノ庄に所在する古墳時代最末期の古墳。一辺約五四メートルの巨石を用いた方形墳で、蘇我馬子の桃原墓に擬せられ、封土(ほうど)を失った横穴式石室天井の巨石が舞台のようなのでこの名がある。昭和二九年(一九五四)国特別史跡指定。石太屋。

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デジタル大辞泉 「石舞台古墳」の意味・読み・例文・類語

いしぶたい‐こふん【石舞台古墳】

奈良県高市郡明日香村島庄にある飛鳥時代の古墳。巨大な横穴式石室が露出し、天井石が舞台のように大きいためにこの名がある。蘇我馬子そがのうまこの墓とする説もある。

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日本歴史地名大系 「石舞台古墳」の解説

石舞台古墳
いしぶたいこふん

[現在地名]明日香村大字島庄

島庄しまのしよう集落の東方やや高みにある。飛鳥の石舞台として古くから人々の関心を集めた。古墳は早く上部の封土を失い、石室の巨大な天井石が露出しているところから、石舞台とか石太屋いしぶとやとよばれてきた。明治の末年、喜田貞吉によって蘇我馬子桃原ももはら墓と考定され、また古墳が今のような姿になったのは蘇我一族の悪行に対する懲罰のために封土がはぎ取られたのだとの説もあった。

昭和八年(一九三三)石室を中心として発掘調査が開始され、続いて同一〇年、墳丘基底部の周濠と外堤の調査が実施された。古墳は同年史跡の指定を受け、さらに同二七年三月、国特別史跡に指定された。

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国指定史跡ガイド 「石舞台古墳」の解説

いしぶたいこふん【石舞台古墳】


奈良県高市郡明日香(あすか)村島庄にある7世紀ごろの古墳。早くから古墳を覆う封土(盛り土)が失われ、巨大な岩が露出し、その姿から石舞台と呼ばれてきた。これは横穴式石室の玄室部の天井と側壁で、蘇我馬子(そがのうまこ)の墓と伝承され、蘇我馬子桃原墓(ももはらのはか)という別称もある。玄室は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m、羨道(せんどう)は長さ約11m、幅2.5mの規模で、石室内部には排水施設がある。三十数個の石が積まれ、その総重量は2300tと推定され、巨岩は古墳近くの冬野川の上流、多武峰(とうのみね)の麓から運ばれたとみられている。封土がないため、その墳形は明確ではないが、2段積みの方墳とも上円下方墳とも、あるいは、下方八角墳とも推測されている。また、1辺51mの方形基壇の周囲に貼り石された空濠をめぐらし、さらに外堤(南北約83m、東西約81m)をめぐらした壮大な方形墳であるともいわれる。1935年(昭和10)に国指定史跡になり、1952年(昭和27)に特別史跡に指定された。封土が剝がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する懲罰であったとする説もある。現在は国営飛鳥歴史公園の一部として整備されている。近畿日本鉄道橿原線ほか橿原神宮前駅からコミュニティバス「石舞台」下車、徒歩約3分。

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改訂新版 世界大百科事典 「石舞台古墳」の意味・わかりやすい解説

石舞台古墳 (いしぶたいこふん)

奈良県明日香村島庄にある巨石積みの横穴式石室を主体とする古墳(特別史跡)。墳丘は空濠と外堤をめぐらせた2段積みの方墳,あるいは上円下方墳で,上段の盛土がなくなり,天井石が露出しているためこの名称がある。墳丘の四周と外堤斜面には人頭大の花コウ岩玉石を列石状に葺いている。墳丘基底部で東西各辺長さ約55m,南北各辺長さ約52m,外堤南辺外側長さ約85m。墓室は粗い加工による花コウ岩巨石を積む両袖式の横穴式石室で,玄室壁は側壁3段積み,奥壁2段積みで,やや内傾する。石室全長約20.5m,南西方向に開口する。天井は2石で覆い,南側の石は重量約77t。玄室平面は長方形を呈し,内法長さ約7.7m,幅約3.4m,高さ約4.8m,床は割石敷きの石床にし排水溝を玄室周囲と石室中軸にそって刻んでいたらしい。凝灰岩の石棺片らしい石材が出土している。なお,古墳築造の際,小古墳群が破壊されている。626年に死んだ蘇我馬子の桃原墓にあてる説があるが,蓋然性が高い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石舞台古墳」の意味・わかりやすい解説

石舞台古墳
いしぶたいこふん

奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村島庄(しまのしょう)にある方墳。1辺約54メートル。上部の盛土(もりつち)を失い、巨大な横穴式石室の天井石が露出しているところから、この名がある。1933~75年(昭和8~50)の調査によって、墳丘は幅6~7.5メートルの周濠(しゅうごう)と外堤を巡らす二段築成の方墳、あるいは上円下方墳と考えられる。墳丘の四周と外堤の斜面には人頭大の花崗岩(かこうがん)玉石(たまいし)を外護列石(がいごれっせき)状に葺(ふ)く。墓室は粗い加工を加えた巨大な花崗岩を積む両袖(りょうそで)型の横穴式石室で、南東方向に羨道(せんどう)を開き、全長20.5メートル。玄室の壁面は全体に内傾する。天井石は2個の巨石で覆うが、南側の石材重量は約77トンである。玄室の平面は長方形をし、内法(うちのり)の長さ7.7メートル、幅3.4メートル、高さ4.8メートル。床と側壁の接する東・西・北と石室中軸線沿いに排水溝を巡らせ、玄室床には周囲の溝を残して割石(わりいし)敷きにする。羨道は両側壁とも一段積みで天井石は失われている。626年(推古天皇34)に死んだ蘇我馬子(そがのうまこ)の桃原墓(ももはらのはか)とする説がある。1954年(昭和29)特別史跡に指定。

[猪熊兼勝]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「石舞台古墳」の解説

石舞台古墳
いしぶたいこふん

奈良県明日香村島庄にあり,明日香の平地を見渡す台地上に営まれた2段築成の大きな方墳あるいは上円下方墳。墳丘底面は1辺50m余,濠をめぐらした内外斜面に丸石を葺(ふ)く。古くから墳丘を失い,巨大な天井石をもつ横穴式石室が露出していたためこの名がある。南西に開口する石室の全長は約20m。玄室は長さ7.7m,幅3.4m,高さ4.7mで,側壁にそって排水溝をめぐらし,長さ11.5mの羨道(えんどう)中央をまっすぐに貫いて南端へ排出する。付近の島宮(しまのみや)の遺構と結びつけて巨大な石室を蘇我馬子(うまこ)の墓とする解釈もあるが,確証はない。国特別史跡。

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百科事典マイペディア 「石舞台古墳」の意味・わかりやすい解説

石舞台古墳【いしぶたいこふん】

奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村にある1辺約50mの方墳。巨石で築かれた横穴式石室が露出し,舞台状の外観を呈しているのでこの名がある。俗に蘇我馬子の墓といわれる。
→関連項目明日香[村]末永雅雄

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石舞台古墳」の意味・わかりやすい解説

石舞台古墳
いしぶたいこふん

奈良県高市郡明日香村島ノ庄にある壮大な方形墳。1辺の長さ約 54m。堀をめぐらしているが空堀の外堤ではかると,南北 83m,東西 81mある。現在上部の封土はなくなり,横穴式石室が露出しているが,石室の長さ 7.7m,幅 3.4m,高さ 4.8m,羨道 (通廊) の長さ約 12m,幅 2.4m,高さ 2.6mで,天井石の最大のものは 77tに達するという。蘇我馬子の墓であろうという説もある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「石舞台古墳」の解説

石舞台古墳
いしぶたいこふん

奈良県高市郡明日香村にある古墳時代末期の方墳あるいは上円下方墳。巨大な横穴式石室をもつ
墳丘底面は1辺約50m,周囲に空濠をめぐらした墳墓であったが,早くから盛土を失い,石室が露出している。玄室の長さ7.75m,幅3.5m,高さ4.7m。蘇我馬子の墓といわれる。

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