石村洞古墳群(読み)せきそんどうこふんぐん

世界大百科事典(旧版)内の石村洞古墳群の言及

【ソウル】より

…《三国史記》によると,そのころ慰礼城ないしは漢山,漢城などと呼ばれた。その周辺には,石村洞古墳群など百済前期の墳墓群が知られる。統一新羅時代に入ると,全国九州のうちの漢山州に編入されたが,景徳王代の8世紀の中ごろには,漢州に変わり,その付近を漢陽郡とした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」