朝日日本歴史人物事典 「石塚英蔵」の解説
石塚英蔵
生年:慶応2.7.23(1866.9.1)
明治大正,昭和前期の官僚。会津藩(福島県)藩士の子。一高,帝大法科卒。司法省法制局を振り出しに,明治31(1898)年台湾総督府参事官長に赴任。児玉源太郎総督いわく「後藤(新平)は民政,石塚は法制,我輩が軍政」と。のち関東都督府民政長官,朝鮮総督府農商工部長官などを経て,大正5(1916)年東洋拓殖会社総裁,同年貴族院議員。昭和4(1929)年浜口内閣により台湾総督となるが,6年,台湾の原住少数民族が日本に抗して武装蜂起した霧社事件(1930)の責任をとって辞任。9年から没時まで枢密顧問官。
(安岡昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報