精選版 日本国語大辞典 「石坂洋次郎」の意味・読み・例文・類語
いしざか‐ようじろう【石坂洋次郎】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
小説家。明治33年1月15日(戸籍上は7月25日)青森県弘前(ひろさき)市に生まれる。旧制弘前中学校を経て1919年(大正8)慶応義塾大学文学部予科に入学。21年同郷の今井うらと結婚。25年大学を卒業、まもなく郷里の弘前高等女学校に奉職。のち秋田県立横手高等女学校から県立横手中学校へ転任、通算13年間の教員生活を勤め、かたわら創作に専念する。処女作『海をみに行く』(1927)以後『三田文学』をおもな発表舞台としたが、33年(昭和8)5、6月の『若い人』によって作家的地位を確立。この完成は「出来るだけ一般の人々を喜ばせる」(『短い感想』)ことを目的とする石坂文学の開花を意味した。『麦死なず』(1936)、『何処(いずこ)へ』(1941)を経て第二次世界大戦後は、『青い山脈』(1947)、『陽(ひ)のあたる坂道』(1956~57)、『光る海』(1963)等の新聞小説に成功、映像化された作品も多い。これら「青春もの」といわれる諸作品は、無遠慮な口をきくが、相手に毒を感じさせない人物を登場させ、露骨でありながら、不潔感を抱かせない性描写を含む、という点で共通する。『わが日わが夢』(1946)、『石中先生行状記』(1948~54)等の異色作もある。昭和61年10月7日没。
[森 英一]
『『石坂洋次郎文庫』全20巻(1966~67・新潮社)』▽『森英一著『石坂洋次郎の文学』(1981・創林社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…石坂洋次郎(1900‐86)の長編小説。戦後最初の新聞連載小説で,1947年(昭和22),《朝日新聞》に連載,同年,新潮社刊。…
※「石坂洋次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
1/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
12/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新