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チャイコフスキー作曲による3幕のバレエ。M.ペチパが,シャルル・ペローの昔話を台本化し,振り付けた。1890年1月ペテルブルグのマリインスキー劇場で初演。王女(オーロラ)の命名式に招かれなかった悪の精カラボスが王女成長後の死を暗示する。善の精リラは100年の眠りの後,姫は目覚めると予言する。オーロラ姫は,16歳の誕生祝いに4人の王子との踊りの後,変装したカラボスが渡した紡ぎ針を手に刺し眠りに入る。100年後リラの精の導きで王子が現れ,接吻により姫は目を覚ます。王子との華やかな結婚式となり,〈青い鳥〉など童話の主人公たちの踊りがあり,姫と王子のグラン・パ・ド・ドゥで終わる。ペチパの傑作というだけでなく,19世紀後半のバレエ・ロマンティックの代表作といわれる。1922年バレエ・リュッスが《オーロラの結婚》を上演後,単独でもこの幕が行われている。日本では52年小牧バレエ団が全幕初演した。
執筆者:桜井 勤
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし,舞踊の因襲的な技法が自由な音楽表現の束縛となり,一級の作曲家たちはバレエ音楽に創作意欲を示さなかった。パリにおけるドリーブの《コッペリア》(1870)と《シルビア》(1876),モスクワにおけるチャイコフスキーの《白鳥の湖》(1876),ペテルブルグにおける同じ作曲家の《眠れる森の美女》(1890)と《くるみ割り人形》(1892)の成功は,この通念を打開し20世紀のバレエ音楽への道を開いた。 1910年代から20年代にかけて,ディアギレフの主宰する〈バレエ・リュッス〉のために,現代音楽の新しいイズムをもったバレエ音楽が相次いで創造される。…
…独舞と群舞の有機的なつながり,踊りとマイムの交替による劇的展開など,さまざまな新手法を打ちだし,欧州屈指のバレエ団をつくりあげた。彼の作品は《ドン・キホーテ》(1869),《バヤデルカBayaderka》(1877)をはじめ自作だけでも60編を超すが,その作舞法は年とともに深味をまし豊かになり,とくに晩年にはチャイコフスキー,グラズノフの協力のもとに交響楽的バレエ《眠れる森の美女》(1890,曲チャイコフスキー),《白鳥の湖》(1895,イワノフと分担,曲チャイコフスキー),《ライモンダ》(1898,曲グラズノフ)など,近代バレエの頂点をなす不朽の名作をつくりあげた。また《ジゼル》《海賊》《エスメラルダ》など,先人の作品の改訂増補にいどみ,精彩さを加えた傑作として後代に伝えた。…
※「眠れる森の美女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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