精選版 日本国語大辞典 「真田幸村」の意味・読み・例文・類語
さなだ‐ゆきむら【真田幸村】
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(葛西奈津子 フリーランスライター / 2014年)
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安土(あづち)桃山時代の武将。本名信繁(のぶしげ)。昌幸(まさゆき)の次男。1586年(天正14)豊臣(とよとみ)秀吉の臣となり、94年(文禄3)豊臣信繁の名で従(じゅ)五位下左衛門佐(さえもんのすけ)に叙任した。妻は秀吉の奉行(ぶぎょう)大谷吉継(おおたによしつぐ)の女(むすめ)。のち父昌幸、兄信之(のぶゆき)とともに徳川家康に臣従したが、関ヶ原の戦いには父とともに西軍に属して信濃(しなの)(長野県)上田城を死守、戦後高野山(こうやさん)に流された。34歳から48歳までの14年間配所で浪人生活を送った。その間昌幸は病死したが、幸村は1614年(慶長19)豊臣秀頼(ひでより)に招かれて大坂に入城した。同年の大坂冬の陣には、城の南東の隅に真田丸という出丸を設けてここを守り、東軍を悩ました。徳川家康から招降されたが応ぜず、12月20日和議が成立。和睦期間中に国元(くにもと)へ送った手紙には、決死の覚悟が淡々と述べられている。翌年の夏の陣では、5月6日の道明寺の戦いに退却の殿(しんがり)を務め、翌7日の決戦には茶臼山(ちゃうすやま)に陣し、家康の本陣へ突撃して家康を危機に陥れ、ついに戦死したが、その奮戦ぶりは東軍からも「真田日本一の兵」と称賛された。口数の少ない温和な小男であったが、戦闘指揮官としての能力は卓越していた。死後その名声はますます上がり、江戸中期にできた『真田三代記』では大坂城の大軍師ともてはやされ、大正初年には「立川文庫」による真田十勇士の活躍でいっそう有名になった。もちろん史実からは遠い。なお「幸村」の名も確実な史料にはない。
[小林計一郎]
『小林計一郎著『真田幸村』(1961・人物往来社)』
安土桃山時代の武将。名は信繁。信頼のおける史料では幸村と称していない。昌幸の次男。一時上杉景勝に属したが,まもなく豊臣秀吉に仕え,1590年(天正18)の小田原征伐に参陣。92年(文禄1)の文禄の役では名護屋に出陣。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦には西軍に加わり,父とともに信濃国上田城を死守し,徳川秀忠の西上を阻止した。戦後高野山に追放されたが,14年の大坂冬の陣には豊臣秀頼に荷担して大坂城に入り,城の東南の隅に真田丸という出丸を築いて力戦し東軍を悩ませた。翌年の夏の陣では,5月6日に河内国の片山道明寺口で伊達政宗の大軍と戦ってこれを破り,翌日は茶臼山に向かい家康の本陣へ突撃して家康を危機に陥れたが,松平忠直の軍勢と激戦の末戦死した。大正時代の〈立川文庫〉の真田十勇士の話などによって有名になった。
執筆者:笹本 正治
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(笠谷和比古)
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1567~1615.5.7
織豊期~江戸初期の武将。父は昌幸。名は信繁(のぶしげ)。1585年(天正13)父に従い豊臣秀吉に仕える。90年秀吉の小田原攻めに戦功をあげ,92年(文禄元)朝鮮出兵では,肥前名護屋まで出陣。1600年(慶長5)関ケ原の戦では,父とともに信濃国上田城に籠城,中山道を進軍する徳川秀忠軍を迎え撃ち,大いに戦功をあげた。戦後,東軍に属した兄信之の助命嘆願により紀伊国高野山九度山に蟄居(ちっきょ)したが,14年大坂冬の陣がおきると豊臣秀頼に応じ,大坂城南天王寺口外堀の外に真田丸とよばれる出城を築き奮戦。翌年の夏の陣にも参陣し,一時は徳川方の本陣まで迫るが討死。
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…真田昌幸,真田幸村,真田幸泰(通称大助)の真田家3代の興亡を主題とした講談。幕末近くに成立した実録体小説をもとにしており,講談ではなかでも幸村の大坂の役の奮戦が中心となっている。…
…だが1797年(寛政9)炎上し,そののち塔頭西源(さいげん)院方丈を移建して当寺方丈(重要文化財)とするなど復興につとめ寺観も旧に復したが,現存の塔頭は境内鏡容池の北岸にある大珠院,西源院,霊光院の3院のみである。なお寺内に細川勝元夫妻,同政元・同氏綱など歴代管領細川家の墓があり,また大珠院の前の池中に真田幸村の墓と伝える石塔がある。細川氏関係の古文書も伝蔵するが,紙本墨書《太平記》12冊(重要文化財)は,徳川光圀の加筆もあって有名である。…
※「真田幸村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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