真珠庵庭園(読み)しんじゅあんていえん

国指定史跡ガイド 「真珠庵庭園」の解説

しんじゅあんていえん【真珠庵庭園】


京都府京都市北区紫野大徳寺町にある庭園。大徳寺塔頭(たっちゅう)で、永享年間(1429~41年)に大徳寺を復興した禅僧の一休宗純(いっきゅうそうじゅん)を開祖として創建された寺。寺名の由来は、日本臨済宗の祖の一人である楊岐方会(ようぎほうえ)が、雪の夜に中国の楊岐山(ようぎさん)の寺で座禅をしていると、風が舞って部屋の中に雪が降り込み、床に積もった雪が月に照らされて真珠のように輝いたという故事にちなんで一休が名づけた。1467年(応仁1)からの応仁の乱によって焼失し、1491年(延徳3)に堺の豪商尾和宗臨(おわそうりん)によって再興された。その後、1638年(寛永15)に京の豪商、後藤益勝(ますかつ)の寄進によって方丈が造営された。侘()び茶の祖である村田珠光(じゅこう)作と伝わる枯山水の方丈東庭は、七五三の庭とも呼ばれて真珠庵でもっとも古いものとされ、細長い地割りに7・5・3の計15個の小石が配されて、苔と小石の組み合わせがいかにも侘びた風情をかもし出している。ほかに、方丈北奥にある客殿前庭は、客殿に付属する金森宗和(かなもりそうわ)好みの茶席「庭玉軒(ていぎょくけん)」の露地庭としての役目も兼ねており、通僊院(つうせんいん)庭園は通僊院から庭玉軒へいたる露地庭で、数個の石と灯籠が配されている。1924年(大正13)に国の名勝史跡に指定された。JR東海道新幹線ほか京都駅から市バス「大徳寺前」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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