精選版 日本国語大辞典 「真岡」の意味・読み・例文・類語
もうか【真岡】
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栃木県南東端の市。2009年3月旧真岡市が二宮(にのみや)町を編入して成立した。人口8万2289(2010)。
真岡市南端部の旧町。旧芳賀郡所属。人口1万6640(2010)。茨城県と接する。町域は東西に細長く,東端は八溝(やみぞ)山地の縁辺部にあたる。小貝川,五行(ごぎよう)川,鬼怒川が南流し,沿岸低地に水田が広がる。中心集落は真岡鉄道線の駅がある久下田(くげた)で,戦国時代後期に水谷(みずのや)氏が築いた久下田城の城地の一画であった。米作のほか,ビニルハウスによるイチゴ栽培が盛んで,京浜市場に出荷される。近年,電子部品,鉄鋼などの工場が建設された。物井には小田原藩主大久保氏の分家,宇津氏の桜町陣屋跡(史)があるが,1822年(文政5)二宮尊徳は大久保氏に請われてこの陣屋に入り,荒廃していたこの地の復興に尽力した。尊徳がつくったという堰や穴川用水が残されている。町名もこの遺業にちなむ。高田には真宗高田派の専修(せんじゆ)寺があり,8月1,2日の顕智会式は高田の夜祭として有名である。
執筆者:千葉 立也
真岡市中北部の旧市。1954年市制。人口6万6362(2005)。市域は鬼怒川東岸低地から真岡台地,五行川,小貝川沿岸低地を経て八溝山地にかかっている。中世には関街道に沿う街村であったが,1577年(天正5)芳賀氏が台地東端に築城してから発展し,近世には江戸幕府直轄地となった。近世から明治期まで鬼怒川東岸の河港を外港とした地方物資,とくに真岡木綿の集散地として繁栄した。1912年国鉄真岡線(現,真岡鉄道)が開通した後も農産物の集散地としてにぎわい,県南東部の行政・経済の中心となってきた。1962年首都圏整備法に基づく〈都市開発区域〉に指定され,65年から西部の台地に工業団地,住宅用地が造成された。自動車工業の関連企業を中心に機械,化学工業などが進出し,県内屈指の工業都市に発展した。北関東自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:村上 雅康
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南樺太(からふと)(サハリン)南西岸、日本海に面する港湾都市。ロシア連邦ではサハリン州に属し、ホルムスクХормск/Hormskとよんでいる。人口3万7300(2003推計)。製紙、食肉加工、水産加工などの工場や、大規模な漁港と商港があり、260キロメートル離れた対岸のシベリア側、ソビエツカヤ・ガバニ北方の港ワニノとの間に鉄道フェリー、北海道小樽(おたる)港との間に定期船が就航する。船員養成所や、近郊には太平洋水産科学センターがある。18世紀後半以降、わが国の松前藩や江戸幕府による漁場開拓事業があり、日本・ロシア人雑居地、ロシア領を経て、1905~45年(明治38~昭和20)は日本領。この間、水産加工、製紙などの工場が建設され、樺太庁鉄道西海岸線(1943年より国鉄樺太西線)と真岡線(真岡―豊原(とよはら)間84キロメートル)の分岐点として繁栄し、真岡支庁の支庁所在地であった。当時の人口は1万9193(1942)。
[渡辺一夫]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…人口5万0300(1993)。日本名は真岡(まおか)。18世紀末,松前藩によって樺太西岸の主要漁場として開かれ,幕末には幕府の樺太経営の一拠点であった。…
※「真岡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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