相良清兵衛(読み)さがらせいべえ

改訂新版 世界大百科事典 「相良清兵衛」の意味・わかりやすい解説

相良清兵衛 (さがらせいべえ)
生没年:1567-1655(永禄10-明暦1)

安土桃山・江戸初期の肥後人吉藩の重臣。名は頼兄(よりもり),本姓は犬童(いんどう)。父は頼安。犬童氏は相良家譜代の重臣。文禄期に家老職につき,朝鮮の役中に反対派の家老深水氏を追放し,独裁的存在となる。関ヶ原の戦では東軍への寝返り策によって相良氏を救い,その権勢藩主凌駕(りようが)した。藩政を専断し,藩主の地位をも侵すこととなり,ついに1640年(寛永17)藩主頼寛は彼の横暴幕府に提訴した。その結果,弘前藩預の身となり配所にて死亡。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相良清兵衛」の解説

相良清兵衛 さがら-せいべえ

1568-1655 織豊-江戸時代前期の武士
永禄(えいろく)11年生まれ。犬童(いんどう)頼安の子。肥後(熊本県)相良氏の執政。対抗勢力の深水(ふかみ)氏一族を慶長の役のさなかに一掃関ケ原の戦いでは東軍への寝返り策をとり,藩主相良長毎(ながつね)に賞されたが,寛永17年その専横を次の藩主頼寛が幕府にうったえたため陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩預けとなった。明暦元年7月12日死去。88歳。名は頼兄(よりもり)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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