皇甫謐(読み)こうほひつ

精選版 日本国語大辞典 「皇甫謐」の意味・読み・例文・類語

こうほ‐ひつ クヮウホ‥【皇甫謐】

中国西晉の学者。字(あざな)士安。号は玄晏先生。しばしば武帝に召されたが、固辞博学で、百家の書に通じた。著「帝王世紀年暦」「高士伝」「列女伝」「玄晏春秋」など。(二一五‐二八二

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デジタル大辞泉 「皇甫謐」の意味・読み・例文・類語

こうほ‐ひつ〔クワウホ‐〕【皇甫謐】

[215~282]中国、西晋の学者。安定・朝那(甘粛省)の人。あざな士安しあん。号、玄晏げんあん先生。その学は百家に通じ、「帝王世紀」「高士伝」「列女伝」などを著した。また「甲乙経」を著し晋以前の鍼灸しんきゅう学の集大成を行った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「皇甫謐」の意味・わかりやすい解説

皇甫謐
こうほひつ
(215―282)

中国の医家。現存する最古の鍼灸(しんきゅう)医学書『鍼灸甲乙経(こうおつきょう)』12巻(または『黄帝(こうてい)三部鍼灸甲乙経』『黄帝甲乙経』。俗称『甲乙経』)を著し、鍼灸学の基礎を築いた。字(あざな)は士安、幼名を静、玄晏(げんあん)先生と号した。安定朝那(甘粛(かんしゅく)省霊台県朝那鎮)の人。新安(しんあん)の叔父のところにいたが、20歳になっても学問を好まず放蕩無頼(ほうとうぶらい)であった。叔母に訓戒されて感激し、発憤して学問に励み、貧乏であったので農事に従いながらも勉強した。広く書籍を研究し、のちに風痺(ふうひ)病となっても書物を離さず、人々は彼を「書淫(しょいん)」といったという。晋(しん)の武帝(在位265~290)から、たびたび官僚になるよう招かれたが、終生仕えなかった。著作は多く、『帝王世紀』『高士伝』『逸士伝』『烈女伝』などがある。

[山本徳子]

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改訂新版 世界大百科事典 「皇甫謐」の意味・わかりやすい解説

皇甫謐 (こうほひつ)
Huáng fǔ Mì
生没年:215-282

中国,西晋の著述家。後漢末の黄巾の乱の鎮圧に手柄があった皇甫嵩の曾孫。字は士安。号は玄晏先生。安定(甘粛省)の人。20歳ころまでは放蕩の生活にあけくれたが,発奮して〈書淫(書物の虫)〉とあだ名されるまでの読書家となり,再三の仕官のさそいをことわって著述に専念した。《帝王世紀》は,天地の開闢から人皇があらわれ魏の咸熙2年(265)にいたるまでの272代,276万745年間にわたる歴史を帝王を中心に記し,このような雄大な構成,あるいはまた緯書を多く利用するなどの点において,六朝時代の史書の一つの特色を示す。そのほか《年暦》《高士伝》《逸士伝》《列女伝》《玄晏春秋》等,多数の著述があったが,大半は失われた。また,〈寒食散〉の服用によってはげしい後遺症になやまされた彼は,みずからの体験にもとづき〈寒食散〉中毒症状を記録するとともに,ただしい服用法を世人に教えるため《寒食散方》を著した。
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世界大百科事典(旧版)内の皇甫謐の言及

【偽書】より

…魏の王粛一派は,後漢以来勢力をもっている鄭玄(じようげん)の学説を打ち破るべく,自派に都合のよい《孔子家語(けご)》《孔叢子(くぞうし)》などの仮託の書を偽造した。皇甫謐(こうほひつ)《帝王世紀》も,これは偽書とは呼ばぬが,王粛一派の学説によって書かれた古代史である。こうした基礎の上に,晋の梅賾によって《(偽)古文尚書》が世に出された。…

※「皇甫謐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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