百越(読み)ひやくえつ(ゑつ)

普及版 字通 「百越」の読み・字形・画数・意味

【百越】ひやくえつ(ゑつ)

越(びんえつ)の諸族。魏・呉質〔東阿王(曹植)に答ふる書〕謂(おも)へらく、南のかた百越を震はして、其の白雉を獻ぜしむべし。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「百越」の意味・わかりやすい解説

百越
ひゃくえつ

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世界大百科事典(旧版)内の百越の言及

【雲南[省]】より

…秦・漢では雲南をはじめ貴州・四川西南地域の夜郎や昆明などの部族を〈西南夷〉とよんだ。《史記》西南夷伝には,彼らはみな氐(てい)の類だとあるが,氐のほか百越,百僕の族群が考えられる。漢の武帝はこの地域に益州郡を設け,ほかに牂牁(しようか)郡,犍為(けんい)郡,越嶲(えつすい)郡をおいた。…

【越族】より

…中国,浙江省からインドシナにかけて分布した海洋系の民族。百越(粤)と総称する。越(於越)は文身断髪の習をもち,春秋時代に会稽(かいけい)に建国,前306年ころの滅亡後は各地に散居した。…

【広東[省]】より

…住民の大部分は漢族であるが,リー(黎)族,チワン(壮)族,ヤオ(瑶)族,ミヤオ(苗)族,回族,満州族,ショオ(畲)族の少数民族が約125万人,おもに北西部の山地に居住している。
[歴史]
 春秋戦国時代は百越の地であった。秦代に始皇帝が大軍を派遣して征服し,南海,桂林,象の3郡を置いた。…

【江西[省]】より

…したがって平野部で水資源が豊富であっても,土地の生産力は低い。
[開発の始まり]
 華北の黄河中下流域に,原始社会・文化が発達していたころ,江西を含む長江中下流以南は,三苗や百越と呼ばれた漢民族とは異なる民族の居住地であった。考古学的研究によれば,この地域には華南の広東などとも共通の文化的基盤のあったことが認められるが,同時に殷・周文化に対応する青銅器をも含む高度の文化も発見され(清江県呉城遺跡),隣接する湖南北部と一帯になって一つの文化圏を形成していた。…

【広西チワン族自治区】より

…住民の民族構成は1995年では,人口4543万人のうち漢族は2803万人,少数民族ではチワン(壮)族が最も多く1535万5000人,次いでヤオ(瑶)族109万人,ミヤオ(苗)族,トン(侗)族と続き,他にコーラオ(仡佬)族,マオナン(毛難)族,回族,イ(彝)族,キン(京)族,スイ(水)族,ムーラオ(仫佬)族が居住している。
[歴史]
 春秋戦国時代は百越の地であった。秦代に始皇帝が大軍を送って嶺南地方を征服して,桂林郡が置かれ,一部は象郡に属した。…

【浙江[省]】より

…ほぼ同時期に,江蘇北部より山東にかけて展開する青蓮崗文化,大汶口文化とは,共通する面も多いが,性格を異にするところも多く,一定の交流はありながらも,畑作を基盤とする文化と,稲作を基盤とする文化の基本的相違がより明確になりつつあることをうかがわせる。
[百越文化]
 中原で新石器文化より青銅器文化への移行がすすみ,夏・殷・周の統一王朝が成立した時期,その影響は南方にも及んだ。南方では,江蘇南部,浙江,福建,江西など広い範囲に,表面に各種の文様を押印した土器(幾何印紋陶)が現れるが,これらの文化はおのおのの地方色をもちながらも共通する要素を多くもち,また中原からもたらされたと考えられる青銅器と共存する。…

※「百越」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」