白石(読み)しろいし

精選版 日本国語大辞典 「白石」の意味・読み・例文・類語

しろ‐いし【白石】

[1] 〘名〙
① 白い色の石。
※俳諧・大海集(1672)七「白石や空にしられぬ雪礫〈臣常〉」
② 白色の碁石。しろ。
※吉備大臣物語(鎌倉初)「ごをもちてこころみむといひて、白石(シロイシ)をば日本に擬し」
[2]
[一] 宮城県南部の地名。仙台藩家臣片倉氏一万二〇〇〇石の城下町、奥州街道の宿駅として発達。温麺、和紙の特産地。東北本線・東北新幹線が通じ、蔵王山への観光基地。昭和二九年(一九五四)市制。
[二] ((二)(一)からの入植にちなむ称) 札幌市東南部の行政区。昭和四七年(一九七二)政令都市指定と同時に成立。平成元年(一九八九厚別区を分区。

しら‐いし【白石】

[1] 〘名〙
石膏の異称。
※康頼本草(1379‐91頃)玉石部上品「石膏 味辛甘微寒无毒。和志良以志。日本備中国。无時採之」
② 白色の碁石。しろいし。
浮世草子・風流曲三味線(1706)四「料理人の六兵衛上下(かみしも)を着て碁石を籠に入、揚屋方の座敷ふさげの砂に成客を蒔出す。お白石(シライシ)を蒔しやりませといへば」
[2]
[一] 岡山県笠岡市の白石島のこと。
[二] =しろいし(白石)(二)(一)

はく‐せき【白石】

[1] 〘名〙 白い石。
源平盛衰記(14C前)一二「松山峨峨として白石(ハクセキ)滝の水流れ出で」 〔詩経‐唐風・揚之水〕

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デジタル大辞泉 「白石」の意味・読み・例文・類語

しらいし【白石】

姓氏の一。
[補説]「白石」姓の人物
白石一郎しらいしいちろう
白石一文しらいしかずふみ
白石勝巳しらいしかつみ

しろいし【白石】[札幌市の区]

札幌市東部の区名。平成元年(1989)厚別区を分区。

しろいし【白石】[宮城県の市]

宮城県南部の市。もと伊達藩家老片倉氏の城下町。良質の和紙の産地。人口3.7万(2010)。

しろ‐いし【白石】

白い色の石。特に、白い碁石。しらいし。

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日本歴史地名大系 「白石」の解説

白石
しらいし

[現在地名]北茂安町大字白壁字白石

白壁しらかべ村の北部丘陵地域、藩士の居住集落で、白石鍋島家の本拠地。白石の名は、成富兵庫茂安が杵島きしま郡の白石しろいしからここに転領となった際、旧領にちなんで名付けたものという。

白石邑の邑祖は、佐賀藩初代藩主鍋島勝茂の四男直弘。初め成富茂安の養子となり、寛永一二年(一六三五)物成一千石を分知して鍋島氏に復し、のち物成八千石余(高二万石余)となり、白石鍋島家を創設、代々山城守を称して親類四家の筆頭となった。配分地が分散するのは佐賀藩の特色であるが、白石邑もその例外でなく、三根郡・神埼郡・佐賀郡に分散している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「白石」の意味・わかりやすい解説

白石[町] (しろいし)

佐賀県中南部,杵島(きしま)郡の町。2005年1月有明(ありあけ),旧白石,福富(ふくどみ)の3町が合体して成立した。人口2万5607(2010)。

白石町南西部の旧町。杵島郡所属。人口9073(2000)。東は有明海に面し,南は塩田川をはさんで鹿島市に接する。西部は杵島山より南にのびる山地で,中央部以東は中世以降の干拓地からなる。主要集落の廻里津(めぐりつ)は中世以来の河港。東部前面は国営有明干拓地で,中央部をJR長崎本線,国道207号線が縦断する。米作を主体とする農業が基幹産業で,従来から行われていたれんこんの栽培のほか野菜,畜産,施設園芸などを加えた複合化を目ざしている。有明海ではノリ養殖が盛ん。山麓には県天然記念物のクスノキがある稲佐神社や,和泉式部の墓と伝える石造三重塔を有する福泉寺,海竜神社などがある。

白石町中部の旧町。杵島郡所属。人口1万3757(2000)。六角川中・下流南岸にあって,南東は有明海に面する。西端の杵島山付近の山地を除くと,筑紫平野の西端を占める沖積低地で,条里制の遺構が残る。海岸部は鐘松土居をはじめ近世以降の干拓地で,護岸を意味する搦(からみ)のつく地名が多い。主産業は農業で,米,麦と並んでれんこん,タマネギなどの栽培,イチゴなど施設園芸が盛ん。沿岸ではノリ養殖が行われる。杵島山北側の歌垣山には万葉歌碑が建てられ,山麓には出水法要で有名な安福寺観音堂(水堂)があり,〈水堂さん〉の名で親しまれている。JR長崎本線,国道207号線が通じる。

白石町北東部の旧町。杵島郡所属。人口5563(2000)。有明海に注ぐ六角川の河口部南岸に位置し,町域の大部分が近世以降の干拓地である。天正年間(1573-92)福富氏によって開発が始められたと伝えるが,近世,佐賀藩の六府方による搦(干拓)事業の推進などで有明海は干拓され,町内の地名にも〈搦〉のつくものが多い。水量にはめぐまれず,溜池や掘抜き井戸により灌漑が行われてきた。六角川河口の住ノ江港は,江戸末期より米,明治中期からは杵島炭田の石炭の積出港として栄えた。住ノ江の地名は対岸の小城市の旧芦刈町にもあるが,港は行政上は当町に属した。1955年に住ノ江橋が架橋されるまでは渡船があった。米作を中心とする農業が主産業で,溜池や湿田を利用して生産されるれんこんは特産として知られ,沿岸ではノリの養殖も行われる。
執筆者:

白石[市] (しろいし)

宮城県南端の市。1954年白石町と越河(こすごう),斉川,大平,大鷹沢,白川,福岡の6村が合体,市制。57年小原村を編入。人口3万7422(2010)。阿武隈川の支流白石川の流域にあり,白石盆地の南半を占める。中世に白石氏が拠った地で,近世には仙台藩領の南の要所を占め,重臣片倉氏が白石城に居城し,城下町が形成された。仙台・松前道の宿駅でもあり,2・7日の六斎市が立ち,片倉氏が奨励した和紙などが取引された。JR東北本線,東北新幹線,国道4号線,東北自動車道が通じ,宮城県南部の商業中心地であり,近世以来の伝統をもつ製粉,うーめん,春雨などの食品工業や縫製,電子,ナイロンなどの工業も行われる。蔵王観光の基地であり,西部に鎌先温泉(含ボウ硝食塩泉,32~49℃),小原温泉(単純泉,50℃)がある。鎌先に近い弥次郎(やじろう)集落はこけしの産で名高い。小原にある柱状節理をもつ材木岩やヒダリマキガヤ,コツブガヤ,ヨコグラノキ,市域東部にある球状セン緑岩(菊面石)は天然記念物に指定されている。南部の斉川は近世には宿場町であり,疳(かん)の薬の孫太郎虫の産地として知られる。白石城跡は桜の名所で,横綱谷風,大砲の碑がある。
執筆者:

刈田氏(白石氏)の本拠であったが,南北朝時代初め伊達氏の勢力圏にはいり,豊臣時代の蒲生氏領有を経て,関ヶ原の戦後伊達政宗領となった。1602年(慶長7)片倉小十郎の給地となる。白石城(益岡城)は本丸をもつ平山城で,仙台城と並び仙台藩二城の一つ。一国一城制の例外である。周囲に小路・丁を称する侍屋敷があり,元和年間(1615-24)に町屋6町が成立,検断が置かれて伝馬継立ての役を負担した。6町にはその大部分が町役をつとめる町足軽157軒ほどと百姓屋敷158軒ほどが混在し,1町は約1丁20間~3丁ほどから成っていた。1868年(明治1)奥羽越列藩同盟結成の舞台となり,ついで盛岡藩転封地,明治政府按察府・白石県庁所在地と変遷した。また片倉家中の北海道移住が行われ白石村を開拓している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の白石の言及

【片倉小十郎】より

…小十郎は世襲名だが景綱(1557‐1615)が著名で,豊臣秀吉の奥州仕置に際し伊達政宗の小田原参陣を推進,近世大名としての伊達氏再生を決定づけた。独立大名化の誘いを固辞,一国一城の例外的措置である白石(しろいし)城にあって1万3000石を領した。先祖は信濃国伊那郡片倉村に住し,大崎氏に従い奥州に下ったと伝える。…

※「白石」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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