日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
白痴(ドストエフスキーの小説)
はくち
Идиот/Idiot
ロシアの小説家ドストエフスキーの長編小説。1868年発表。主人公ムイシキン公爵はキリスト的な「ポジティブに美しい人」として構想される。「白痴」とよばれるほどの無垢(むく)な純粋さをもつ公爵は療養先のスイスの病院からペテルブルグに戻り、欲望の権化(ごんげ)である商人ロゴージン、エパンチン将軍家の誇り高い令嬢アグラーヤ、さらに小説の女主人公であり、不幸と凌辱(りょうじょく)のなかにあっても傲慢(ごうまん)な悲劇的美をもち続けるナスターシャ、自殺志願の青年イッポリートらの織り成す人間情熱のドラマに巻き込まれる。副人物レベジェフによる黙示録解釈、ロゴージン家にまつわる去勢派信徒の影などが特異な雰囲気を醸し、主人公には作者の持病であるてんかんのアウラ体験が託される。しかし人々の間に和解と調和をもたらすべき公爵の愛と哀れみの精神も現実世界の荒れ狂う渦の前には無力であり、ロゴージンはナスターシャを殺し、公爵もふたたびスイスに帰らねばならない。
[江川 卓]
『木村浩訳『白痴1・2』(『ドストエフスキー全集9・10』1978、79・新潮社)』▽『米川正夫訳『白痴』全四巻(岩波文庫)』▽『木村浩訳『白痴』上下(新潮文庫)』