精選版 日本国語大辞典 「白河関」の意味・読み・例文・類語
しらかわ‐の‐せき しらかは‥【白河関】
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東山道で下野から陸奥に入る入口に置かれた関所。現在の白河市旗宿に比定される。勿来関(なこそのせき)(現,福島県),念珠関(ねずがせき)(現,山形県)と並んで〈奥州三関〉と称され,ともに蝦夷対策のために設置されたものだろう。平安時代の835年(承和2)12月3日の太政官符に登場するのが史料上の初見だが,その中に〈剗(せき)(関)を置きて以来,今に四百余歳〉とあるから,すでに奈良時代には設置されていたと推定される。関としての実質は平安後期には失われていたらしい。西行が〈白河の関屋を月のもるかげは人の心をとむるなりけり〉という歌を,関屋の柱に書き付けたのが事実なら,平安末には関屋も廃墟となっていたと思われ,近世になると関の所在地も不確定となった。一方,能因法師の歌で代表されるように,歌枕としての白河関は都でも有名で,また白河を関東と奥羽との境界とする観念は,近代に至るまで根強く存在した。
執筆者:大沢 正敏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代奥州の南の関門。福島県白河市旗宿(はたじゅく)所在。835年(承和2)の太政官符(だいじょうかんぷ)によれば、400余年前、すなわち5世紀の前半ごろ蝦夷(えぞ)対策のために設けられたとある。東山道(とうさんどう)口の奥州の関門として、東海道口の菊多関(きくたのせき)(後の勿来関(なこそのせき))と並んで有名であった。『今昔(こんじゃく)物語』によれば、平安時代にも厳重に出入りを取り締まっている。最近、発掘によって、関跡推定地に柵(さく)列に囲まれた施設跡を発見し、関跡として確定された。歌枕(うたまくら)として有名である。
[高橋富雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
白河剗とも。陸奥国におかれた関。東山道を扼(やく)した念珠(ねず)関・勿来(なこそ)関とともに奥州三関の一つ。835年(承和2)12月の太政官符によると,設置からこのときまで400年余をへていると伝えるが,確実な設置時期は不明。1959年(昭和34)から比定地の一つである福島県白河市旗宿(はたじゅく)の関ノ森地区で発掘調査が開始された。その結果,空堀・土塁や柵列によって区画されたなかに掘立柱建物群跡,工房とみられる竪穴住居跡が検出され,白河関跡として国史跡となる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…すなわち律令国家は中心に京・畿内,その周囲に一般諸国,さらにその遠方に化外の地がひろがるという同心円的地域区分を有していた。三関は畿外の国に位置するが基本的に畿内と畿外を区切る性格を有し,摂津関もこれに准じ,辺要の東の蝦夷地との境には陸奥国白河関,菊多関(これらは835年(承和2)長門関と同ランクになった)が,西の大宰府域との境界には長門関が置かれ,これらは地域区分の象徴的役割をはたし,(1)(2)ランクとして重視されたのである。 関は基本的に国境におかれ,他国への不法移動である浮浪・逃亡の防止という警察的機能を有した。…
※「白河関」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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