白樫村(読み)しらかしむら

日本歴史地名大系 「白樫村」の解説

白樫村
しらかしむら

[現在地名]上野市白樫

法花ほつけ村の西南。西南隣の大和石打いしうち(現奈良県月ヶ瀬村)に通ずる道があり、治田はつた(「三国地志」の篠広川)流域に形成された山間の小集落。建久元年(一一九〇)四月、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、その時八幡宮神職の一族八家が当地に移住したと伝え(三国地志)慈尊じそん寺には鎌倉末期の元亨元年(一三二一)銘板碑もある。

天正一四年(一五八六)古検を改めたとあるが、古検のままと解すべきで本高二一七・七石で、津藩領時代に地平しなかった特殊例であろう。

白樫村
しらかしむら

[現在地名]揖斐川町白樫

上野うえの村の南に位置する。「小島のくちすさみ」にみえる小島おじま頓宮を当地とする説がある。徳治二年(一三〇七)二月一〇日の定昭譲状(熊野那智大社文書)にみえる「しらかし」は当地とみられ、定昭は檀那職を道印房に譲っている。応永一四年(一四〇七)五月一二日の権律師良湛売券(同文書)には「美濃国しらかしいの先達大宝房門弟引旦那」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報