畿内近国(読み)きないきんごく

改訂新版 世界大百科事典 「畿内近国」の意味・わかりやすい解説

畿内近国 (きないきんごく)

山城を含む五畿内周辺の地域を指す。この地域は12世紀末,治承・寿永の内乱期から軍事的要地として重視され,鎌倉幕府は蒙古襲来以降,摂津播磨丹波の守護職を六波羅探題兼管とし,従来から幕府直轄国であった山城を含めて要衝視した。この政策は室町幕府にも継承され,これらの国々は三管四職(ししき)家のうち最有力の足利氏一門守護に与えられた。なかでも摂津,河内和泉は南朝への軍事的基地とみなされ,1369年(正平24・応安2)楠木正儀が北朝に帰参すると,幕府は彼に河泉両守護職に加えて南朝所属時に帯していた国主の地位をも安堵している。室町中期には畠山細川の両管領家と侍所の赤松氏が当地域の守護を世襲的に歴任したが,戦国期にはほとんどが細川氏の実質的な勢力圏と化し,戦国末期にその版図は三好政権に引きつがれた。近世には,京都所司代配下の上方奉行(五畿内郡代)がほぼ同様の地域の行政を管轄したが,その淵源は戦国期にさかのぼるとみられる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報