甲陽軍鑑(読み)こうようぐんかん

精選版 日本国語大辞典 「甲陽軍鑑」の意味・読み・例文・類語

こうようぐんかん カフヤウグンカン【甲陽軍鑑】

江戸前期の軍書。二〇巻二三冊。武田信玄老臣高坂昌信口述による、大蔵彦十郎、春日惣次郎の筆録で、元和七年(一六二一)以前に小幡景憲の整理を経たものという。信玄・勝頼二代の合戦、刑罰行政、軍法などの事跡や軍学を論じたもの。甲州流軍学教典とされ、江戸初期の思想や軍学を知る史料となっている。

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デジタル大辞泉 「甲陽軍鑑」の意味・読み・例文・類語

こうようぐんかん〔カフヤウグンカン〕【甲陽軍鑑】

江戸初期の軍学書。20巻。武田信玄の臣、高坂昌信の著述というが、小幡景憲おばたかげのり編纂説が有力。信玄を中心とし、甲州武士の事績・心構え・理想を述べたもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「甲陽軍鑑」の意味・わかりやすい解説

甲陽軍鑑
こうようぐんかん

江戸初期につくられた軍記。全20巻、59品。甲州流兵法の祖小幡景憲(おばたかげのり)は、本書を基本的原典とし、これに『末書』3巻・27品、『結要本』9品、『竜虎豹』3品をもって兵法講義の素材とした。戦国の名将武田信玄(しんげん)一代の戦功・武略を中心に、治政、刑法、軍法などについて記したもので、とくに陣営、兵伍(へいご)、諸道具などの記述が詳しい。これに勝頼(かつより)の一代記(50品以下)、最後(59品)に徳川家康の物語が付加されている。年代や事実の錯誤がみられ、武田氏の実録とはいえないが、甲州武士の思考や行動が生々しい迫力で綴(つづ)られており、「上下諸侍(しょざむらい)の作法の資」としようとする作者の意図が随所にうかがえる。

 本書の成立については、すでに江戸時代から偽書説や多くの異説があるが、明治中期以後は、信玄の寵臣(ちょうしん)で信州(長野県)海津(かいづ)の城代を勤めた高坂弾正忠昌信(こうさかだんじょうのじょうまさのぶ)(1527―78)、通称高坂弾正の言を籍(か)りて、彼の縁者春日惣二郎(かすがそうじろう)・大蔵彦十郎らが編集・加筆し、これを小幡景憲が増補・集成したものとみられてきた。しかし近年本書の分析が進み、昌信を原作者とすべきであるとする説が唱えられている。

[渡邉一郎]

『磯貝一・服部治則註『甲陽軍鑑』(1965・人物往来社)』

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日本歴史地名大系 「甲陽軍鑑」の解説

甲陽軍鑑
こうようぐんかん

二〇巻

解説 武田信玄・勝頼の二代にわたる事績を中心に記した甲州流軍学の書。五九品からなり、起巻目録に次いで、品一に甲州法度之次第、品二に信繁家訓九九ヵ条を載せ、品三―四九を信玄、品五〇―五七を勝頼、品五八―五九を武田氏滅亡後に充てる。著者は武田家の重臣高坂弾正昌信で、死後甥の春日惣次郎、小幡下野らが書継ぎ、軍学者小幡景憲が集大成したとされるが、原本は昌信の口述を大蔵彦十郎が記録したという説もある。品五四末に天正五年、品五九末に同一四年の奥書をもつが、原本は残存しない。写本・版本は多いが、伝写の系統は流布本と信玄全集本とに大別される。写本では元和七年書写本、版本では明暦二年京都村上平楽寺版が古い。記載内容は史実と異なることが多いが、戦国期の生活や当時の武士の思想を反映しているとされ、利用されることが多い。

活字本 甲斐叢書四―五・甲斐志料集成九・戦国史料叢書三―五・「甲陽軍鑑大成・本文編」上下

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改訂新版 世界大百科事典 「甲陽軍鑑」の意味・わかりやすい解説

甲陽軍鑑 (こうようぐんかん)

江戸初期に集成された軍書。武田氏の老臣高坂弾正昌信の遺記を基に,春日惣二郎,小幡下野らが書きつぎ,小幡景憲が集大成したといわれる。20巻59品から成り,武田信玄・勝頼の2代にわたる治績,合戦,戦術,刑法等が記され,初期武士道に関する記述もみられる。現存する最古の板本は1656年(明暦2)のものであり,異本も数多い。《戦国史料叢書》《甲斐叢書》所収。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「甲陽軍鑑」の意味・わかりやすい解説

甲陽軍鑑
こうようぐんかん

江戸時代初期に編纂された軍書。 20巻。甲州流の軍法,兵法を伝える目的で,武田晴信 (信玄) ,勝頼2代にわたる事績,合戦,刑政,軍法を記し,さらに甲州武士の事績,心構え,理想を述べたもので,特に軍法の記述に中心がおかれているので軍鑑といわれる。本書は武士団内部における種々の伝承を集大成したものの代表的なものであり,武士道という語を使用した最も古い文献である。著者については6説あり,そのうち最も有力なものは,信玄の重臣海津城主高坂弾正虎綱 (昌信) の遺記,関山派の僧の遺記を基礎資料として,春日惣次郎,小幡康盛,外記孫八郎,西条治部らが書き継ぎ,さらに江戸時代初期の軍学者,兵法家小幡景憲が,自家門客の説,および自己の見聞を加えて集大成したというものである。

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百科事典マイペディア 「甲陽軍鑑」の意味・わかりやすい解説

甲陽軍鑑【こうようぐんかん】

江戸初期に集成された軍学書。20巻。甲斐の武田晴信・勝頼2代の事績によって,甲州流軍法,武士道を説く。異本多く,作者は諸説あるが,武田家老臣高坂弾正昌信の遺記をもとに春日惣二郎・小幡(おばた)下野が書き継ぎ,小幡景憲が集大成したとみられる。
→関連項目山本勘介

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「甲陽軍鑑」の解説

甲陽軍鑑
こうようぐんかん

戦国大名武田氏の軍学書。20巻。著者については諸説あるが,山鹿素行の軍学の師小幡景憲(おばたかげのり)とするのが有力。元和年間には成立していたとされる。1656年(明暦2)版が現存最古の版本。武田信玄・勝頼2代の甲州武士の心構え・事績・合戦・軍法・裁判などが記されている。近世に限っても多数の版本・写本があり,武士一般に広く読まれた。「改訂甲陽軍鑑」「古典資料類従」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「甲陽軍鑑」の解説

甲陽軍鑑
こうようぐんかん

江戸初期の軍学書
20巻。甲斐武田家の信玄・勝頼2代にわたる事績・合戦・軍法などを記す。武田氏部将の遺記を軍学者小幡景憲が集大成したものといわれ,甲州流軍学書として有名。

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世界大百科事典(旧版)内の甲陽軍鑑の言及

【甲陽軍記物】より

…講談,人形浄瑠璃,歌舞伎狂言の一系統。《甲陽軍鑑》に材を得ており,甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信との川中島の戦を中心とした両家の対立や事跡などをテーマにした作品群。信玄の軍師,山本勘助の活躍が眼目の一つ。…

※「甲陽軍鑑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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