出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
新劇女優。本名伴田(ともだ)秋子。東京生まれ。神田高等女学校卒業。父の作家田村西男の影響で1923年(大正12)素人(しろうと)演劇の舞台に立ち、翌年築地(つきじ)小劇場の研究生として劇団創立に参加。29年(昭和4)解散後劇団新東京結成を経て、32年夫の俳優友田恭助(きょうすけ)と築地座を創立。『おふくろ』『二十六番館』などの創作劇や翻案劇『にんじん』に出演、女優としての全盛期を築く。36年解散後文学座の結成に加わるが、夫の戦死で舞台を退く。第二次世界大戦後は客演として文学座の舞台に立つが54年(昭和29)に引退。映画出演も多い。また『姫岩』(1943)など3本の戯曲も執筆した。
[大笹吉雄]
『田村秋子・小山祐士著『一人の女優が歩んだ道』(1952・白水社)』
… 築地小劇場が小山内の急死によって分裂,解散(1929)した後,以降,右傾化する国家権力により後述の新協,新築地両劇団が強制的に解散させられる(1940)までの期間は,それまでの数多くの欧米近代劇上演によって刺激され,また培われてきた日本近代戯曲の,いわば真の開花期であり,また心理主義的なフランス近代戯曲の翻訳上演期でもあった。 いまだ翻訳劇優先であった築地小劇場を脱退した友田恭助・田村秋子夫妻は,1932年2月〈築地座〉を結成した。その上演55演目中,16演目がフランス近代心理劇を主体にする西欧近代戯曲で,39演目が日本の創作戯曲だった。…
…中学生時代から芝居好きで,早大学生時代に〈新劇協会〉の畑中蓼坡(りようは)に師事して同劇団の公演《ワーニャ伯父さん》に出演,水谷八重子らとの〈わかもの座〉(1920結成)を経て,1924年築地小劇場創立同人となった。25年女優田村秋子と結婚。築地小劇場解散後は夫人とともに32年〈築地座〉を結成し,日本の近代創作劇上演運動を展開,小山祐士(ゆうし)ら多くの劇作家に創作の機会を与えた。…
※「田村秋子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新