田原坂(読み)たばるざか

精選版 日本国語大辞典 「田原坂」の意味・読み・例文・類語

たばる‐ざか【田原坂】

[一] 熊本県鹿本郡植木町にある西南戦争古戦場。明治一〇年(一八七七官軍がこの地で西郷軍との激戦勝利をおさめ、熊本城包囲をといた。
[二] 熊本県の代表的民謡。明治三七年(一九〇四)頃、九州日々新聞記者の入江という人が西南戦争の際の田原坂激戦で死んだ九州男児をしのんで作詞し、熊本の留吉という芸妓に作曲させたという。剣舞式の舞踊がある。

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デジタル大辞泉 「田原坂」の意味・読み・例文・類語

たばる‐ざか【田原坂】

熊本市北部にある坂。明治10年(1877)の西南戦争激戦地
熊本県の民謡。西南戦争で死んだ九州男子をしのんで、明治37~38年(1904~1905)ごろ作られた。

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日本歴史地名大系 「田原坂」の解説

田原坂
たばるざか

[現在地名]植木町豊岡

豊岡とよおか集落の西南方、植木より高瀬たかせ(現玉名市)へ通ずる高瀬往還(三池往還)の途中、木葉このは川沿いから植木台地に上る坂道。曲折した一の坂・二の坂・三の坂からなり、全長一・四キロ。熊本城(現熊本市)北方約一八キロの地点にある。明治一〇年(一八七七)の西南戦争の激戦地。西郷軍に包囲された熊本城救援の政府軍にとって、高瀬から熊本へ入る四道(吉次峠道・三池往還・豊後街道・河内道)のうち当道のみが砲隊を進めうる唯一のものであったため、要害となる坂山頂をめぐって激烈な攻防戦が行われた。

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百科事典マイペディア 「田原坂」の意味・わかりやすい解説

田原坂【たばるざか】

熊本県植木町(現・熊本市)西部木葉(このは)から植木に通じる街道上にある坂道。1877年3月,西南戦争に際し,官軍と薩軍が17日間にわたり戦った地で,熊本城攻防の最大拠点であった。記念碑がある。
→関連項目北[区]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田原坂」の意味・わかりやすい解説

田原坂
たばるざか

熊本県中部,熊本市にある国見山南麓の坂。1877年の西南戦争の古戦場として知られる。熊本城攻防の拠点となったところで,籠城軍の救援に向かう官軍と,それを阻む西郷隆盛率いる薩摩軍との間で 17日間におよぶ死闘が繰り広げられた。台地上にはその慰霊塔や資料館があり,公園になっている。

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デジタル大辞泉プラス 「田原坂」の解説

田原坂

海音寺潮五郎の歴史小説短編集。1990年刊行。

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世界大百科事典(旧版)内の田原坂の言及

【植木[町]】より

…鹿児島本線が通じ,九州縦貫自動車道の植木インターチェンジがあるため近年熊本市への通勤者が増え,人口も増加傾向にある。西部にある田原坂は西南戦争の古戦場で,現在は頂上一帯が公園になっている。町の北部に平島温泉(単純泉,45~52℃),宮原(みやばる)温泉(単純炭酸鉄泉,15℃)がある。…

※「田原坂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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