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小説家。東京生まれ。岩崎家から母の実家田中家に入籍する。早稲田(わせだ)大学政経学部卒業。在学中の1932年(昭和7)ボート選手としてオリンピックに出場。その後左翼運動に加わったが転向。小説『空吹く風』(1935)が太宰治(だざいおさむ)に認められて師事。40年『オリンポスの果実』で池谷賞を受賞。以後『われは海の子』(1941)、『我が西遊記』(1944)などを発表する。第二次世界大戦後、ふたたび左翼運動に参加したが挫折(ざせつ)し、『地下室から』(1948)で運動の内在的批判を試みる。しかしアドルム中毒、同棲(どうせい)した女との悲惨な葛藤(かっとう)などデカダンな生活に陥り、『離魂』『野狐(やこ)』『さようなら』(いずれも1949)など苦悩に満ちた小説を残しながら、太宰の墓前で自殺した。
[島田昭男]
『『田中英光全集』全11巻(1964~65・芳賀書店)』
作家。東京生れ。早大政経学部卒業。在学中ボート選手として1932年のロサンゼルス・オリンピックに参加した。その後太宰治に師事。35年からは兵役の期間等を除き,足かけ8年にわたって朝鮮にあり,会社勤めのかたわら朝鮮文人協会の組織にかかわった。オリンピック参加の体験を素材にした青春小説《オリンポスの果実》(1940)によって池谷信三郎賞を受ける。戦後は共産党に入党,沼津地区委員長となるが,1年ほどで離党,《地下室から》(1948)などで,戦後の革命運動を内部から批判的に告発した。48年の太宰治の死に衝撃を受け,そのころから生活は乱脈をきわめるようになるが,みずからの戦中・在朝鮮体験を検証した《酔いどれ船》(1948)や荒廃した生活をみつめた《野狐》(1949)などには,作者の純真無垢な魂が感じられる。49年太宰治の墓前で自殺した。
執筆者:東郷 克美
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