田中英光(読み)タナカヒデミツ

デジタル大辞泉 「田中英光」の意味・読み・例文・類語

たなか‐ひでみつ【田中英光】

[1913~1949]小説家。東京の生まれ。太宰治師事し、ボート選手としてオリンピックに出場した体験をもとに「オリンポスの果実」を発表太宰の墓前で自殺ほか小説地下室から」「野狐やこ」など。

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精選版 日本国語大辞典 「田中英光」の意味・読み・例文・類語

たなか‐ひでみつ【田中英光】

小説家。東京出身。早稲田大学在学中、ボート選手としてロサンゼルス五輪に参加。その経験を描いた「オリンポス果実」が代表作。第二次世界大戦後一時共産党へ入党。のち師太宰治の墓前で自殺。著「地下室から」「さようなら」など。大正二~昭和二四年(一九一三‐四九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田中英光」の意味・わかりやすい解説

田中英光
たなかひでみつ
(1913―1949)

小説家。東京生まれ。岩崎家から母の実家田中家に入籍する。早稲田(わせだ)大学政経学部卒業。在学中の1932年(昭和7)ボート選手としてオリンピックに出場。その後左翼運動に加わったが転向。小説『空吹く風』(1935)が太宰治(だざいおさむ)に認められて師事。40年『オリンポスの果実』で池谷賞を受賞。以後『われは海の子』(1941)、『我が西遊記』(1944)などを発表する。第二次世界大戦後、ふたたび左翼運動に参加したが挫折(ざせつ)し、『地下室から』(1948)で運動の内在的批判を試みる。しかしアドルム中毒、同棲(どうせい)した女との悲惨な葛藤(かっとう)などデカダンな生活に陥り、『離魂』『野狐(やこ)』『さようなら』(いずれも1949)など苦悩に満ちた小説を残しながら、太宰の墓前で自殺した。

[島田昭男]

『『田中英光全集』全11巻(1964~65・芳賀書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「田中英光」の意味・わかりやすい解説

田中英光 (たなかひでみつ)
生没年:1913-49(大正2-昭和24)

作家。東京生れ。早大政経学部卒業。在学中ボート選手として1932年のロサンゼルス・オリンピックに参加した。その後太宰治に師事。35年からは兵役の期間等を除き,足かけ8年にわたって朝鮮にあり,会社勤めのかたわら朝鮮文人協会の組織にかかわった。オリンピック参加の体験を素材にした青春小説《オリンポスの果実》(1940)によって池谷信三郎賞を受ける。戦後は共産党に入党,沼津地区委員長となるが,1年ほどで離党,《地下室から》(1948)などで,戦後の革命運動を内部から批判的に告発した。48年の太宰治の死に衝撃を受け,そのころから生活は乱脈をきわめるようになるが,みずからの戦中・在朝鮮体験を検証した《酔いどれ船》(1948)や荒廃した生活をみつめた《野狐》(1949)などには,作者の純真無垢な魂が感じられる。49年太宰治の墓前で自殺した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田中英光」の意味・わかりやすい解説

田中英光
たなかひでみつ

[生]1913.1.10. 東京
[没]1949.11.3. 東京,三鷹
小説家。早稲田大学経済学部在学中,ロサンゼルスの第 10回オリンピック (1932) にエイト・クルーの選手として参加。その経験を『オリンポスの果実』 (40) に描き,青春小説の名作として認められた。 1935年頃から太宰治に師事,『鍋鶴』 (39) ,『われは海の子』 (41) を経て,46年日本共産党に入党した。 47年『N機関区』『少女』などが反党的と批判され,離党後は次第にデカダンスの生活に陥り,『さようなら』 (49) を最後に太宰治の墓前で自殺した。

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百科事典マイペディア 「田中英光」の意味・わかりやすい解説

田中英光【たなかひでみつ】

小説家。東京生れ。早稲田大学経済学部卒業。太宰治に師事,1940年,選手としてロサンゼルスオリンピックに出場した体験に基づく《オリンポスの果実》を発表,文壇に出た。一時左翼運動に加わったが,短期間で離れた。《野狐》《聖ヤクザ》《さようなら》等を書き,無頼派作家の一人とされている。太宰治の死に衝撃をうけ,その翌年,太宰の墓前で自殺。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中英光」の解説

田中英光 たなか-ひでみつ

1913-1949 昭和時代の小説家。
大正2年1月10日生まれ。田中光二の父。昭和7年ロス五輪にボート選手として出場。15年その体験を素材にした「オリンポスの果実」で注目される。戦後一時共産党に入党。「地下室から」などを発表するが,薬,酒,女におぼれ,昭和24年11月3日師の太宰治の墓前で自殺。37歳。東京出身。早大卒。
【格言など】ぼくは神の手に「あるいは悪魔の手に」打ち倒されました(遺書)

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