産業政策(読み)さんぎょうせいさく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「産業政策」の意味・わかりやすい解説

産業政策
さんぎょうせいさく

産業政策とは、政府や地方自治体が産業や企業を対象として、個々の産業活動や企業の取引活動に干渉したり、商品・金融等の市場形成あるいは市場機構に対して、必要に応じて行政介入することである。このような必要が生じたのは、資本主義が自由主義段階から独占資本主義段階に移行し、(1)市場機構(マーケット・メカニズム)が資源配分の面で有効に機能しなくなったこと、(2)国際市場での競争力強化のために、第二次世界大戦中および戦後の技術革新を積極的に導入し、産業構造の高度化を推進しなければならなくなったこと、(3)資源・エネルギー問題や公害問題など従来の経済政策や社会政策の枠を超えた新たな問題が発生し、より包括的な対策が要求されるようになったからである。その内容は、各国の経済事情に応じて多様であるが、大別して産業構造政策と産業組織政策に分けられ、前者は産業間の資源配分を主対象とし、後者は産業内の競争促進・制限を主たる領域とする。

[殿村晋一]

産業構造政策

いくつかの産業を一定の政策策定基準に基づいて助成し、産業構造の高度化を促進したり(たとえば重化学工業化政策)、個々の産業内部の調整を行う(個別産業政策、たとえば鉄鋼業政策、造船業政策、農業政策など)ための諸政策をいう。産業の育成・調整政策の中軸をなすのは、各種補助金交付、選別融資政策、租税特別措置、保護関税、投資調整政策などである。

 後発資本主義国である日本では、先進国に追い付くために近代工業の積極的育成策が第二次世界大戦前から戦後を通じて政府によって一貫して実施されている。明治初頭の「殖産興業」政策に始まり、「国家総動員法」に至る戦前の産業政策は、なによりも「富国強兵」を目ざすものであった。

 第二次世界大戦後の産業構造政策は、戦後復興期における「傾斜生産方式」(1946)から始まる。石炭・鉄鋼を中心とする産業の基礎物資の増産に各種生産資源が優先的に回されたほか、「外資法」(1950)によって外国技術の導入が促進され、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)による融資が行われたほか、「企業合理化促進法」(1952)によって重要機械の特別償却制度が実施され、企業の設備投資の促進策が具体化された。

 1950年代後半から60年代へかけての「高度成長」期の行政指導は、エネルギー転換策を推進(たとえば電力における油主炭従策)したほか、鉄鋼、造船、電力などの基幹産業の設備投資を産業合理化計画に基づいて調整し、重化学工業化を進行させた。「投資が投資をよぶ」という形での素材産業の発展と、家電、自動車など耐久消費財産業の本格的な量産体制の確立が結び付き、合成ゴムプラスチック、合成繊維など石油化学工業も発展し、これと対応して産業機械、工作機械など投資財産業も確立をみた。

 1960年代、貿易自由化に対処するため、通産省(現経済産業省)は「中小企業基本法」(1963)を制定、中小企業の協業化・共同化(=近代化)策を打ち出したほか、64年(昭和39)の資本自由化体制への移行と、65年の深刻な不況を契機に、「産業再編成」=「構造改善」に乗り出し、日産自動車・プリンス自動車の合併(1967)、八幡(やはた)製鉄・富士製鉄の合併(1970)などの相次ぐ大型合併を実現させた。

 1973年の「石油危機」は重化学工業化路線に転換を迫るものであった。政府は12月に「緊急二法」(「石油需給適正化法」「国民生活安定緊急措置法」)を制定したが、「狂乱物価」にみまわれ、総需要抑制策から、低成長下での新しい産業政策のあり方を求められることとなった。アルミ精錬、化学、紙パルプなど素材産業と造船を中心とする「構造不況産業」への対策(「特定不況産業安定臨時措置法」1978、および「特定不況地域中小企業対策臨時措置法」1978)による過剰設備の処理・事業転換を推進し、83年には「特定産業構造改善臨時措置法」を定め、素材型不況産業の構造改善のための政策支援を継続した。この間、省資源・省エネルギー基準をクリアした小型自動車・小型機械を中心に、日本の組立て産業の国際競争力が著しく高まり、世界的なニーズを背景に輸出を急速に拡大し高成長を実現した。

[殿村晋一]

産業政策の現状

二度にわたる石油危機を克服し、国際競争力を強化した日本産業は、輸出市場と原料資源の安定確保、貿易摩擦解消を目的に、1980年代には北米やヨーロッパへの海外投資、90年代には低コストの生産拠点確保を目的としたアジアへの投資を拡大し、急速に国際化した。しかし、ドル高是正のためのプラザ合意(1985年9月)以降の「円高不況」対策としての低金利政策は内需拡大に寄与した反面、低金利による過剰流動性は株式・土地投機による「資産インフレ=バブル」とその崩壊=「平成不況」(内外需の不振、内外価格差の拡大)をもたらし、国内諸産業の高コスト体質の改善が緊急課題となっている。欧米巨大企業との世界的競争への対応、海外製品(主として日系メーカーの逆輸入品)による国内製品の代替と親工場の海外移転や廉価な輸入品の流入増に基づく中小企業の海外移転と転廃業の進展(産業空洞化の懸念=フルセット型産業構造の見直し)、「価格破壊」を背景に明らかとなった流通構造とサービス産業の高コスト体質の改善などへの対応に加えて、90年代のリーディングインダストリー(主要産業)としての情報通信産業を中軸とする新規諸産業とベンチャー・ビジネスの育成(「中小企業創造活動促進法」1995)およびその発展基盤の整備が産業政策の重要課題となっている。

[殿村晋一]

産業組織政策

市場機構による資源配分の効率化(競争促進政策)を主体とするこの領域では、第二次世界大戦後、経済民主化の一環として財閥解体、巨大企業の分割が実施され、「独占禁止法」(1947)が制定され、企業行動に対する一定の規制が制度化された。公正取引委員会が設置され、「事業支配力の過度の集中を防止して、結合、協定等の方法による生産、販売、価格、技術等の不当な制限その他いっさいの事業活動の不当な拘束を排除」することが目的とされたが、「構造政策」や不況対策との関連から、3次にわたる改正が行われた。1949年の第一次改正は、厳格すぎる部分を実情にあわせる小幅の改正であったが、58年の第二次改正では、不況への対応とか国際競争力の強化とか設備投資の調整を理由に不況カルテル合理化カルテルが認められ、不況時の勧告操短(競争制限的行政指導)や基幹産業を中心とする産業合理化計画に沿った集中合併促進政策が実施され、大型合併が相次いだ。「適用外カルテル」も急増し、65年ごろには1000件を超え、違法カルテルが全産業分野に広がった。

 1960年代後半には、寡占体制と管理価格の横行に対し、消費者の批判が高まり、カラーテレビの対米ダンピング問題や、73年の石油危機に基づく狂乱物価時における石油資本など大企業の価格カルテルの実態が大きな社会問題となった。75年の第三次改正では、価格カルテル等に対する課徴金の徴収、独占的状態の規制、同調的価格引上げの理由報告制度など、新たな規制が導入された。

 このほか、重化学工業化の進展にあわせて、産業基盤整備拡充政策が財政政策を通じて積極的に展開されたが、公害等環境保護政策は、環境アセスメントの作成にとどまり、鉄鋼、非鉄、石油化学、紙パルプを中心とする企業の公害防止投資も1975年をピークに減退し、大気汚染、水質汚濁、重金属による土壌汚染、騒音・振動、工業用地・住宅用地の乱開発、都市化の急進展による日照権問題などは、なお未解決なままにされているものが多い。

 公益事業政策では、政府の財政再建と民間活力の導入策の一環として、電電公社と専売公社の民営化(1985年4月)、日本航空の完全民営化(1986)、国鉄の分割・民営化および廃線部分での第三セクターへの移管(1987)が断行された。民間活力を生かし「小さな政府」を目ざす「規制緩和」の第一歩であった。

 1980年代後半、アメリカとの貿易摩擦の緩和策として市場の開放(「大規模小売店舗法」改正、1992)が図られたが、1993年(平成5)には94項目の緩和策、95年には1091項目に及ぶ「規制緩和推進計画」が策定された。おもな対象業種は住宅関連(建築基準等の見直し・輸入住宅、海外資材等の導入円滑化)、情報通信(NTTの分割に始まり、新規参入、新規産業、国際化に対応するいっそうの規制緩和)、流通(流通外資の上陸、大店法改正など)、金融(ビッグ・バン)、エネルギー(発電企業の多様化・自由化)、雇用・労働、環境保全(産業廃棄物・ごみ処理への民間大手の参入)などであり、いずれも競争的市場の整備による高コスト体質改善と新規産業育成が眼目である。

[殿村晋一]

産業政策の課題

国内的には、「豊かさ」を実感できる高品質住宅・公園・下水道など生活関連社会資本の充実、労働時間の短縮などを盛り込んだ「生活大国五か年計画」(1992)の推進とともに、高齢化社会の到来は、福祉・医療の拡充だけでなく、高齢労働力の有効活用も視野に入れることの必要性を迫っている(少子化、成熟労働の不利用)。また、産業の空洞化対策として研究開発体制の強化が急がれる。対外的には、地球環境問題への対応、開発途上国への技術移転(個別の生産技術・生産管理システム・環境対策技術等)による国際分業と経済協力の強化(各種の資金援助、金融安定への支援、輸入拡大など)によって世界諸地域との調和的発展を目ざさねばならない。

[殿村晋一]

『篠原三代平・馬場正雄編『現代産業論3 産業政策』(1973・日本経済新聞社)』『宮沢健一著『産業の経済学』(1975・東洋経済新報社)』『今井賢一著『現代産業組織』(1976・岩波書店)』『今井賢一著『情報ネットワーク社会』(岩波新書)』『関満博著『フルセット型産業構造を超えて』(中公新書)』『関満博著『空洞化を超えて』(1997・日本経済新聞社)』『日本興業銀行産業調査部編『日本産業読本(第7版)』(1997・東洋経済新報社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「産業政策」の意味・わかりやすい解説

産業政策
さんぎょうせいさく
industrial policy

一国あるいは一地方の産業の育成・発展を図るためにとられる政策。産業基盤整備などによる社会的間接資本の充実,産業資金の供給,税制上の特別措置による育成,関税による外部からの圧力に対する保護,また必要によっては合理化カルテル・輸出入カルテルの公認などが含まれる。しかし近年では,これらの政策にとどまらず,世界経済を均衡のとれた形で発展させるために先進国,発展途上国がそれぞれにふさわしい補完・分業をし合う体制をつくり上げるための産業政策が重要視されてきている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の産業政策の言及

【経済法】より

… 経済法の本質論については,戦前のドイツにおいて多くの論義がなされたが,これらはいずれも抽象的観念的な議論であり,あまり深く論及する必要がないと思われる。むしろ,重要なのは,現在先進資本主義国においては,経済政策ないし産業政策が存在し,これを実現するための各種の法的手段が用意されているということである。この意味からいえば,経済法という概念は,憲法,刑法,民法のように〈法典〉を中心とした概念ではなく,むしろ〈政策〉を中心とした概念である。…

※「産業政策」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android