琴平町(読み)コトヒラチョウ

デジタル大辞泉 「琴平町」の意味・読み・例文・類語

ことひら‐ちょう〔‐チヤウ〕【琴平町】

琴平

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日本歴史地名大系 「琴平町」の解説

琴平町
ことひらちよう

面積:八・四四平方キロ

県の西部、丸亀平野南西端に位置し、南西は三豊みとよ高瀬たかせ町、南は仲南ちゆうなん町、東は満濃まんのう町、北から西にかけて善通寺市に接する。町の南西部は大麻おおさ(六一六・三メートル)から南東尾根続きの琴平山(象頭山、五二一メートル)と、それに続く愛宕あたご山の山地で、東部と北部は金倉かなくら川と土器どき川の複合氾濫原である。天明六年(一七八六)象頭ぞうず山のえのき谷から平形銅剣三口が出土し、その一口が金刀比羅宮博物館に所蔵されている。

琴平町
ことひらちよう

[現在地名]港区虎ノ門とらのもん一丁目

明治五年(一八七二)に成立した町で、北は今入いまいり町。虎門・あたらシ橋の南にあたり、東は愛宕下あたごした通、南はやぶ小路を限り、西には外堀が巡る。古くからの武家地で、讃岐丸亀藩京極家(上屋敷)・豊後日出藩木下家(上屋敷)・肥後人吉藩相良家(上屋敷)・旗本谷家などは延宝年間(一六七三―八一)から当地に居を構えている。幕末にはこの四家に加え北西の堀端二千三五九坪が勘定奉行役宅となっている(沿革図書など)。京極家上屋敷内には金刀比羅ことひら宮があり、一月一〇日を初金刀比羅として毎月一〇日が縁日であった。同宮は万治元年(一六五八)京極高知が領内の金刀比羅大神(現香川県琴平町)の分霊を三田の藩邸に勧請したもので、延宝七年に屋敷地が虎御門外へ移された際社地も移転した。

琴平町
ことひらちよう

[現在地名]余市郡余市町梅川町うめかわちよう沢町さわまち富沢町とみさわちよう

明治一四年(一八八一)から同三三年まで存続した町。なか町の南に位置。明治一二年から湿地帯を開墾、同一四年七月に琴平町が設置された(「事業略記」・郡区沿革表など)。同二四年調の「徴発物件一覧表」では町名がみえ、寺一があったが、戸口などの記載はない。

琴平町
ことひらちよう

[現在地名]根室市汐見町しおみちよう千島町ちしまちよう栄町さかえちよう

明治一九年(一八八六)から同三三年までの根室郡の町。明治一九年一月根室市街の東方、根室村根室別ねむろべつが分割区画されて根室琴平町一―四丁目が設置された(市町村改称字名並ニ旧字名調)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「琴平町」の意味・わかりやすい解説

琴平〔町〕
ことひら

香川県西部,丸亀平野の南端にある町。大麻山南東麓に位置する。 1890年町制。 1955年榎井村と合体。 58年象郷村の一部を編入。北部は平地,南西部は象頭山 (琴平山の別称) のある山地を占める。中心集落の琴平は,金刀比羅宮門前町として発達した。名勝・天然記念物指定の象頭山一帯は瀬戸内海国立公園に属し,山腹に金刀比羅宮の本宮や海洋科学館など,裏参詣道にあたる琴平公園には日本最古の芝居常小屋である金丸座 (重要文化財) がある。金刀比羅宮には表書院や四脚門などの重要文化財があり,多くの金毘羅庶民信仰資料は重要有形民俗文化財。周辺農村部では米作のほか,野菜を栽培する。町域の南東部に天然記念物の大センダンがある。高松琴平電鉄琴平線の終点で,琴平参詣道 (現在の国道 32号・319号・377号線など) が集中する交通の要地。面積 8.47km2。人口 8468(2020)。

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