現象学的心理学(読み)げんしょうがくてきしんりがく(英語表記)phenomenological psychology

最新 心理学事典 「現象学的心理学」の解説

げんしょうがくてきしんりがく
現象学的心理学
phenomenological psychology

現象学心理学には,心理学が哲学から生を受け自立した歴史を映し,「哲学としての現象学的心理学」という元型とその影響を受けた「心理学としての現象学的心理学」とに大別される。

【哲学としての現象学的心理学】 『現象学的心理学』(1925)を著わした数学出身のフッサールHusserl,E.は,『経験的立場からの心理学』(1874)のブレンターノBrentano,F.に学び,哲学としての現象学を創始した。『ブリタニカ論文』(1927)では,「純粋な現象学的心理学」を「純粋な自然科学」に比すべき形相学として,また事実学としての「厳密な経験的心理学」の基礎として,同時に諸科学を基礎づける「超越論的現象学」の予備学として位置づけた。現象学は,「事象そのものへzu den Sachen selbst!」を格律とし,自己・他者・共同社会の意識現象のノエマ(対象・内容)とノエシス(作用)の現象学的記述に基づき,意識の志向性intentionality,経験の地平構造(図と地,主題と脈絡,焦点と周辺,内的地平と外的地平などの構造),意識と覚知awareness,受動的総合,生きられた時間,空間,身体,世界などの意味と構造を解明する。解明と探究の基本方法には,現象記述,現象学的還元,想像自由変容本質直観の諸段階がある。

 現象学の発展は,フッサールの「イデーン」,ハイデガーHeidegger,M.の「存在と時間」,メルロ・ポンティMerleau-Ponty,M.の「知覚の現象学」をはじめとし,シェーラーScheler,M.,サルトルSartre,J.P.,ボーボワールBeauvoir,S.,リクールRicœur,P.,ガダマーGadamer,H-G.,レビナスLevinas,E.などによる多彩な業績を生んだ。現象学は,ディルタイDilthey,W.の精神科学,ヤスパースJaspers,K.,ビンスワンガーBinswanger,L.,ボスBoss,M.らの精神病理学との交流を深め(Van den Berg,J.H.,1976),インガルデンIngarden,R.の文学認識論,シュッツSchutz,A.の社会学,さらに宗教学,芸術学,歴史学,看護学,建築学,地理学などに影響を与えた。

【心理学としての現象学的心理学】 心理学としての現象学的心理学は,現象学哲学の方法と洞察に学び,「厳密な経験的心理学」をめざす現代の心理学である。それはまた,解釈学,実存主義,精神病理学,文学,芸術,歴史学などの諸学との親和性を保ち相互交流を希求する人間科学としての心理学でもある。質的心理学の一角を占め,人間体験の「理解」を求め,科学的性格を確保しつつ,「出来事,心理的過程,個人的人格」を主題として探究する(Keen,E.,1989)。具体的には錯視,学習,思考,心理療法,不安,怒り,嫉妬,許し,読書,犯罪被害,強者と弱者などの心理体験の意味と構造の解明をめざす。歴史的には,ブントWundt,W.による意識とは要素的感覚の連合的構成体とする定式化を措いて,ありのままの意識現象の観察と記述という基本に帰り,「意識の流れ」を説いたジェームズJames,W.の『心理学原理』(1890)は「草の根」現象学とされる。また,ゲシュタルト心理学者カッツKatz,D.は『触世界の構造』(1925),『色世界の構造』(1930)の実験現象学的研究に「偏見のない記述」を活かし,触や色の現われ方は多様にわたることを示し,「図と地」の概念を導いたのも一例である。とくに,ナチス時代のドイツからアメリカに亡命したゲシュタルト心理学者たちと,アメリカの現象学的心理学との関係は深い。

 現象学的心理学を実証的「科学的研究」の予備的研究とする立場と,自立的な本格的研究とする立場とは,現在も並存している。現代心理学界で傍流少数派とされる現象学的心理学者は,主流派心理学をみなして,歴史的には思弁的哲学と決別し,生理学,生物学,物理学,脳科学,情報科学などとの親和性を保ち,行動と経験の説明,予測と制御を追究する実証主義的な「自然科学としての心理学」とみなす。伝統的心理学と現象学的心理学の対比は,方法:実験化と記述,目的:因果分析と同定,思考:計算的と思索的,生活スタイル:技術と棲み込み的理解,と定式化される(Colaizzi,P.F.,1978)。ジオルジGiorgi,A.は,自然科学と人間科学とのアプローチの基準の差異と対比を,「実験化とその他の研究様式」,「量と質」,「測定と意味」,「分析・総合と解明」,「決定された反応と志向的応答」,「同一的反復と変容を通じての同一性」,「独立的観察者と参与的観察者」とした。彼はその代表作『現象学的心理学の記述的方法The descriptive phenomenological psychological method in psychology』(2009)において,経験的心理学の立場を,現象学哲学の諸方法から再構成し,「他者である参加者による素朴な経験記述の蒐集」,「全体的意味の読み取り」,「意味単位の決定」,「参加者の自然的態度による表現から,現象学的心理学的感受性による表現への転換」,「不変な『意味と構造』の解明と表現」の諸段階を経るものと定式化した。また,「多様な諸研究における記述的資料の諸源泉」と「記述的諸方法」の間の諸対応に,「記述的記録」と「プロトコル分析」,「対話的面接」と「想像的傾聴」,「生きられた出来事の観察」と「知覚的記述」,「想像的現前」と「現象学的反省」が指摘される(Colaizzi,P.F.)。さらに,ジェンドリンGendlin,E.(2004)による「第一人称科学としての心理学」も提唱されている。現象学的心理学は,子ども,高齢者,障害者,精神病者,異邦人など,研究者自身とは異質な世界を生きる人間の体験への接近に優れている。現象学的心理学を初学者が学ぶ際の困難は,現象学書が難解な点と,体験者を対象者として外側から「外の眼」で見る通例の外在的見方から,実在世界への自然的信念をいったん判断停止し,括弧入れする現象学的還元phenomenological reductionを経て,主体としての体験者自身の内側から「内の眼」で見る内在的な見方へと,見方の転換を求められる点にある。しかし,実証主義的な客観的科学主義の立場は,それを主観的,非客観的,非科学的だと批判する。他方,現象学的立場は,科学的客観主義は反省不足で一面的だと批判する。そこに,両者の間に,誤解や無理解による対立と無視の可能性が生じる。ここで,眼差しを,内観で,「内へ」向けるディルタイ-ヤスパース型と,「外へ」向けるフッサール-ビンスワンガー型の二つの型の現象学を混同しないことが重要だ,としたベルクの指摘は,初学者への貴重な導きとなる。後者の視点とは,俳句の詠み方にも似て,われわれが世界を観察するとき,われわれはそこにわれわれ自身を見ているのだ,という。現象学に学ぶ道は多様で,実験心理学出身のジオルジは人間科学的心理学におけるフッサール現象学の実現をめざし,現象学,心理学,科学の三者の合流領域をその研究の場と定める。教育実践出身のマネンManen,M.van(1997)は,教育体験の研究に解釈学,実存主義,ハイデガー存在論を生かしている。 →意識 → →ゲシュタルト心理学
〔吉田 章宏〕

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