精選版 日本国語大辞典 「王道」の意味・読み・例文・類語
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仁愛(じんあい)によって統治する政道。力による覇道(はどう)に対する。中国、戦国時代の儒者である孟子(もうし)が唱えた。当時の諸侯は武力によって他国を圧倒し、天下に号令できる覇者になることを求めていた。しかしこの武力による征服・支配では民心が離反し、結局は国を滅ぼすとして、孟子はむしろ仁愛によって民心を帰服させる王道こそが天下統治への道であるとした。領土や軍隊の大小よりも、民心の把握いかんが統治の要諦(ようてい)であるとした。孟子のこの議論は、諸侯の欲望を踏まえたうえで仁愛の徳治を説くものであった。この王道を支えるのは功利の念ではなく仁義(じんぎ)の心である。そして堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)、湯(とう)、文王、武王らの古(いにしえ)の聖王は皆この王道に拠(よ)っているとした。孟子の王道と覇道の峻別(しゅんべつ)は、「王覇の弁」として長く儒家の主要な主張の一つとなった。
[土田健次郎]
この思想は、わが国では江戸時代の朱子学者にも受け入れられ、山崎闇斎(あんさい)は尊王斥覇(そんのうせきは)を唱えた。朝幕関係については、初めは新井白石(あらいはくせき)のように幕府の立場を王道とする理解が一般的であったが、しだいに、世俗的な権力を行使する幕府を覇とし皇室を王とする考えが広まり、水戸学を中心に尊王論を生み出した。
[明石一紀]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
中国,儒家の政治思想。儒家は天下の人民が帰服するような有徳の王者を遠い古代に想定し,それを先王といい,その政道を王道と称した。徳を政治の原理とする思想は《書経》や《論語》などに見られるが,王道を覇道と対比させて明確にしたのは孟子で,〈徳を以て仁を行う者は王たらん〉すなわち仁義の徳が善政となって流露するのが王道であると説く。王道政治の前提として経済を重んじ,生活が安定した後に教化が可能であるとする点,注目される。
執筆者:日原 利国
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「王道・覇道」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…殷王は〈帝〉という至上神を祭り,農作,狩猟,戦争などの結果の吉凶を亀甲や獣骨を焼いて生ずるひび割れの形によって占い,政治を指導し,政治の主宰であるとともに国家祭祀の司祭者として,華北を中心に散在する部族的国家に君臨していた。殷を滅ぼした周の〈王〉は封建された諸侯の宗家(総本家)の位置を占めたが,〈王〉は正上を支配する〈帝〉の命をうけ,その子すなわち天子として地上を支配するものと観念され,王が天に対して責務を怠ると,天帝は改めて有徳の他の者に命を与えて王とし,王朝の革命がおこると考えられ,その天命は人民の総意によって表されるとする易姓革命の考えがあらわれ,易姓革命を肯定する〈王道〉思想は,戦国時代の儒家の間で理論化されて旧中国の政治思想の骨格となった。西周の王権が衰退して春秋時代になると,南方の蛮夷である楚,呉,越などは王と称するようになり,ついで戦国時代に入ると七つの強国はいずれも王の称号を用い,もはや王は司祭者ではなく,政治的君主になった。…
※「王道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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