精選版 日本国語大辞典 「王昭君」の意味・読み・例文・類語
おう‐しょうくん ワウセウクン【王昭君】
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生没年不詳。中国、前漢の元帝(在位前49~前33)の宮女。名は嬙(しょう)、昭君は字(あざな)。紀元前33年、和親政策のため匈奴(きょうど)の王に嫁がされたことで知られる。北方遊牧民の雄、匈奴は、宣帝時代(在位前74~前49)になると、郅支単于(しっしぜんう)と呼韓邪(こかんや)単于の両勢力に内部分裂を起こし、呼韓邪は前漢に投降、自ら臣と称して来朝してきた。次の元帝時代には郅支が漢軍の攻撃を受けて敗死する。このときふたたび来朝した呼韓邪は「漢氏の壻(むこ)(婿)となって自分が北辺の守りにあたりたい。後宮の女を下賜してほしい」と希望した。それにこたえて元帝が与えたのが王昭君である。『後漢書(ごかんじょ)』によれば、彼女は選ばれて後宮に入ったにもかかわらず元帝から何年も顧みられず、自ら匈奴に嫁すことを望んだという。話が決まってから王昭君を初めて見た元帝は、その美しさに大いに驚き手放すのを惜しんだ。呼韓邪の妻として寧胡閼氏(ねいこえんし)とよばれ、1男を生み、単于の死後は匈奴の風習に従って、本妻の子で次の単于の復株累(ふくしゅるい)の妻となり、2女を生んで匈奴の地で一生を終えた。この王昭君哀話は後世広く伝承され史実とは異なる虚像が文学作品につくられていった。なかでも元の馬致遠(ばちえん)の戯曲『漢宮秋(かんきゅうしゅう)』が最高の傑作といわれる。
[春日井明]
説経節の曲名。1669年(寛文9)刊。日暮(ひぐらし)小太夫の正本で六段構成。漢の光武帝の後宮で,美人の誉れ高い王昭君が戎(えびす)にもらわれる。その昭君を取り返すために,子良や黄石公長良や樊噲(はんかい)といった史実に名高い人物が,時代を超えて協力し活躍する,説経には珍しい金平浄瑠璃(きんぴらじようるり)に近い作。なかでも清貧の道者子良が,占星術や祈禱の呪術,知略によって,戎を屈服させるために中心的な役割を果たしている。
執筆者:岩崎 武夫
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生没年不詳
漢の元帝の宮女。前33年,匈奴(きょうど)との親和政策のため,呼韓邪単于(こかんやぜんう)に嫁がされ,そこで死んだ。その後この哀話は伝説化した形で,多くの文学作品にとりあげられた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…馬致遠作。和親策の犠牲となって異民族に嫁した悲運の美姫,漢の王昭君の伝説を劇化したもの。雅俗語がみごとに調和した絶妙の歌詞を綴り,帝王の悲恋を描いた傑作として,《元曲選》の巻頭を飾る。…
※「王昭君」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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