玉生堂塾跡(読み)ぎよくせいどうじゆくあと

日本歴史地名大系 「玉生堂塾跡」の解説

玉生堂塾跡
ぎよくせいどうじゆくあと

[現在地名]西区南堀江二丁目

江戸時代の南堀江みなみほりえ三丁目にあった藤井藍田の家塾。藍田は文化一三年(一八一六)の生れで、名を徳、字を伯恭、号は藍田のほか鸞田子・梅軒・独鶴・玉生堂主人などと称し、通称は綿屋平左衛門(または卯右衛門)呉服・太物商であったが、画を田能村竹田に、詩文を広瀬淡窓に学び、やがて家業を子に譲って尊王攘夷運動に身を投じた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android