玄慧(読み)ゲンエ

デジタル大辞泉 「玄慧」の意味・読み・例文・類語

げんえ〔ゲンヱ〕【玄慧/玄恵】

[?~1350]南北朝時代天台宗の僧。京都の人。あざな健叟別号独清軒禅宗宋学にも通じ、後醍醐天皇侍読をつとめた。のち、足利尊氏に用いられ、建武式目制定に参画。「太平記」の作者ともいわれる。げんね。

げんね〔ゲンヱ〕【玄慧】

げんえ(玄慧)

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精選版 日本国語大辞典 「玄慧」の意味・読み・例文・類語

げんね ゲンヱ【玄慧】

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改訂新版 世界大百科事典 「玄慧」の意味・わかりやすい解説

玄慧 (げんえ)
生没年:?-1350(正平5・観応1)

鎌倉末期から南北朝時代にかけて活躍した天台宗の僧侶で儒者。玄恵とも書き,〈げんね〉とも読む。号は独清軒(どくせいけん),健叟(けんそう)。《元亨釈書(げんこうしやくしよ)》を著した禅僧の虎関師錬(こかんしれん)の弟とする説もあるが不詳。比叡山延暦寺で修学し,法印権大僧都にまで昇った。禅にも深い関心をよせ,また程朱学にもくわしく,後醍醐天皇の侍読となって天皇や側近公卿たちに古典を講じた。その講義の席が,後醍醐天皇を中心とする鎌倉幕府転覆計画の場であったという話は《太平記》によって世上に流布したものである。倒幕のあと,その学識を買われて足利尊氏・直義兄弟に重んじられ,《建武式目》の作成にも関与した。いわゆる〈往来物〉の代表作にあげられる《庭訓(ていきん)往来》《喫茶往来》が彼の著作と伝えられたり,《太平記》の補作に当たったとされたりし,また《狂言百六十番》も彼の作品といわれたりしたが,いずれについても確証はなく,玄慧が〈才学無双〉の定評を得ていたために付会されたものとみられる。最晩年の挿話として《太平記》巻二十七が語るところでは,親交のあった足利直義が1349年(正平4・貞和5)に剃髪隠遁して京都の錦小路堀河に閑居していたのをときおり見舞い,〈異国本朝ノ物語ドモシテ,慰メ奉〉っていたが,やがて病に侵され,翌年3月2日に京都で死んだ。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「玄慧」の解説

玄慧
げんえ

?~1350.3.2

「げんね」とも。玄恵とも。南北朝期の天台宗の僧,儒学者。号は独清軒・健叟。天台を学び法印権大僧都(ごんのだいそうず)に就任したが,一方で儒学や詩文に通じた。南北朝期には武家方に従い足利尊氏・同直義(ただよし)らと親交があり,「建武式目」の起草に関与した。「太平記」に倒幕の密議の場で書を講じ,後醍醐天皇や公卿にも古典を講義したとあり,「庭訓(ていきん)往来」の作者ともされるがいずれも不詳。

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世界大百科事典(旧版)内の玄慧の言及

【玄慧】より

…倒幕のあと,その学識を買われて足利尊氏・直義兄弟に重んじられ,《建武式目》の作成にも関与した。いわゆる〈往来物〉の代表作にあげられる《庭訓(ていきん)往来》《喫茶往来》が彼の著作と伝えられたり,《太平記》の補作に当たったとされたりし,また《狂言百六十番》も彼の作品といわれたりしたが,いずれについても確証はなく,玄慧が〈才学無双〉の定評を得ていたために付会されたものとみられる。最晩年の挿話として《太平記》巻二十七が語るところでは,親交のあった足利直義が1349年(正平4∥貞和5)に剃髪隠遁して京都の錦小路堀河に閑居していたのをときおり見舞い,〈異国本朝ノ物語ドモシテ,慰メ奉〉っていたが,やがて病に侵され,翌年3月2日に京都で死んだ。…

【狂言】より

…南北朝時代に発生した中世的庶民喜劇で,能,歌舞伎,文楽(人形浄瑠璃)などとともに日本の代表的な古典芸能の一つ。特に能とは深い関係をもつところから〈能狂言〉とも呼ばれる。能が主に古典的題材をとり上げ幽玄美を第一とする歌舞劇であるのに対し,狂言は日常的なできごとを笑いを通して表現するせりふ劇という対照をみせている。
【歴史】

[成立期]
 狂言という芸能の成立事情は明らかでない。しかし人を笑わせる滑稽な演技の淵源は,遠く古代までさかのぼることができるはずである。…

【源平盛衰記】より

…また琵琶語りの詞章としてつくられた語り本系の《平家物語》に対して,読むことを主眼とした本として,〈読本系諸本〉と呼ばれることもある。作者については,葉室(はむろ)時長説,玄慧(げんえ)法印説などがあるが,確定できない。本書独自の増補記事に仏教関係説話がとくに多いことから,作者を僧侶とする見方もある。…

【後三年合戦絵巻】より

…中巻は金沢柵の攻防を,下巻は金沢柵落城とその後の苛酷な処刑場面を描く。序文により,1347年(正平2∥貞和3)に比叡山で企画され,詞を僧玄慧(げんえ)(?‐1350)がつくり,絵は飛驒守惟久(これひさ)が描いたことが知られる。制作年代や画家の知られる基準作として重要である。…

【太平記】より

…さらに,歌人,武人として高名であった今川了俊(貞世)が1402年(応永9)に著した《難太平記》には《太平記》の成立に関し注目すべき記述がある。法勝寺の恵鎮上人が《太平記》を30余巻持参して等持寺で足利直義に見せたところ,直義はそれを《建武式目》制定に参画した当時の碩学玄恵(げんえ)法印(玄慧)に読ませた。その結果,直義は〈これは且つ見及ぶ中にも以ての外ちがひめおほし。…

※「玄慧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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