玄宗[唐](読み)げんそう[とう](英語表記)Xuan-zong; Hsüan-tsung

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「玄宗[唐]」の意味・わかりやすい解説

玄宗[唐]
げんそう[とう]
Xuan-zong; Hsüan-tsung

[生]垂拱1(685).8.5. 洛陽
[没]宝応1(762).4.5. 長安
中国,唐の第6代皇帝 (在位 712~756) 。姓は李,名は隆基。廟号は玄宗。諡は至道大聖大明孝皇帝。睿宗の第3子。母は昭成順聖皇后竇 (とう) 氏。則天武后の治世のとき,3歳で楚王に,8歳で臨 淄 (りんし) 王に封じられた。景雲1 (710) 年政治の実権を握ろうとする韋皇后とその娘安楽公主らを斬り (→韋氏 ) ,父睿宗を擁立してその皇太子となった。先天1 (712) 年皇帝に即位。翌年太平公主とその一党を誅し,政権を掌握年号を開元と改めた。科挙出身の宋 璟 (そうえい) ,姚崇 (ようすう) を登用して,革新政治を断行。則天武后,韋皇后時代の混乱を収拾し (→武韋の禍 ) ,秩序の再建に努めた。その治世の繁栄ぶりは「開元の治」と呼ばれ,太宗の「貞観の治」と並んで称賛された。しかし在位が長引くにつれ,政治に倦み,宰相の専権時代を招来し,天宝期 (742~755) には楊貴妃と奢侈な宮廷生活をおくり,朝政は楊貴妃の一族に移った。天宝 14 (755) 年安史の乱が起り,翌 15年都を落ちて蜀 (四川省) に逃れ,途中楊貴妃は殺された。同年退位し,玄宗は上皇天帝と呼ばれるようになり,至徳2 (757) 年長安に帰還,その地で没した。

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