猿橋(読み)サルハシ

デジタル大辞泉 「猿橋」の意味・読み・例文・類語

さる‐はし【猿橋】

日本三奇橋の一。山梨県大月市の桂川に架かる橋脚のない木橋で、両岸から突き出した刎木はねぎの上に築かれ、藤づるにつかまって川を渡る猿を見て考案したものと伝えられる。えんきょう。
がある町名。もと、甲州街道宿場町

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精選版 日本国語大辞典 「猿橋」の意味・読み・例文・類語

さる‐はし【猿橋】

[一] (奈良時代、猿の群れがフジのつるを伝い、川を渡るのを見て架橋されたと伝えられるところから) 山梨県大月市を流れる桂川に架けられた橋。橋脚を用いないで、かまちを何枚も重ねて架けられた刎木(はねぎ)式の構造で、日本の三奇橋一つ。えんきょう。
[二] 山梨県大月市の地名江戸時代上鳥沢駒橋の間にあった甲州街道の旧宿駅。

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日本歴史地名大系 「猿橋」の解説

猿橋
さるはし

富士山の溶岩流割れ目を浸食した桂川の深い渓谷に架かる橋。幅員五・四メートル、橋長三三・九メートル、水面からの高さ約三〇メートル。現在の橋は昭和五九年(一九八四)八月に架替えられたもの。伝説によると、百済の渡来人志羅呼が推古天皇の代に猿が川を越えるのにヒントを得て、橋を架けることに成功したという。架橋の方法は谷が深く橋脚を立てることができないため、両岸から刎木を四段に差出し、たがいにせり持たせた上に橋桁をのせる構造(刎木式・肘木式)となっている。その構造が特異なことから古くより知られ、峡谷の自然美と人工の構造美が調和する名橋として国の名勝指定される。

文明一九年(一四八七)聖護院道興が小仏こぼとけ峠を越えて郡内ぐんないに入り、当地を訪れて「猿橋とて川の底千尋にをよび侍るうへに、三十余文の橋をわたして侍りけり」(廻国雑記)と記す。

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改訂新版 世界大百科事典 「猿橋」の意味・わかりやすい解説

猿橋 (さるはし)

山梨県大月市の東郊,相模川の支流桂川の渓谷にかかる木橋。〈えんきょう〉ともいう。創建の時期は明らかではないが,きわめて古いと推定され,1226年(嘉禄2)にはすでに文書に記録が見られる。両岸から4層に順次張り出した刎木(はねき)の上に木の橋桁を渡し,刎木の他端は地中に埋め込まれ,安定を保っている。このような工法は刎木橋または肱木橋(ひじきばし)と呼ばれたが,現在の分類からすればカンチレバー形式に属する。渓谷が約30mと深く,橋脚を立てられないため,強さに限界のある木の桁で約31mの長さを一挙に渡るのに考え出されたのがこの構造である。腐食を防ぐため刎木の先端に付けられた小さな板のひさしと相まって木造構築物としての美しさにも秀で,日本古来の名橋の一つに挙げられている。またその構造の珍しさから,日本三奇橋の一つとされてきた。名の由来は,猿が藤蔓(ふじづる)によって渓谷を渡るのにならって架橋したなどと伝えられるが,構造上はこれと関係ない。しばしば架替えが行われたが,今も元の姿を保存している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「猿橋」の意味・わかりやすい解説

猿橋
さるはし

山梨県大月市(おおつきし)、桂川(かつらがわ)に架かる橋。「えんきょう」ともいう。木曽(きそ)の桟(かけはし)、岩国の錦帯(きんたい)橋とともにわが国の三奇橋の一つ。国指定名勝。橋は、溶岩を侵食した深い絶壁に架けられ、水面からの高さ31メートル、長さ32メートル、幅3.3メートルあり、1本の支柱も使わず、両岸から長く斜上に突き出された四段の刎木(はねぎ)が橋脚のかわりをしている。伝説では、古代、推古(すいこ)天皇の時代に来日した、百済(くだら)僧志羅呼(しらこ)がサルが何匹もつながって川を渡るのを見て、この架橋法を思い付いたという。JR中央本線猿橋駅から徒歩15分。

[横田忠夫]


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百科事典マイペディア 「猿橋」の意味・わかりやすい解説

猿橋【さるはし】

〈えんきょう〉とも。山梨県大月市の桂川にかかる橋(名勝)。日本三奇橋の一つ。百済の渡来人が推古天皇の代にサルの渡河をみて架橋に成功したと伝え,15世紀の《廻国雑記》にみえている。江戸時代には甲州街道の要衝で,安藤広重の甲陽猿橋之図などで広く知られた。橋脚を使わず棟(むね)と桁(けた)を重ねて架橋した刎木(はねぎ)橋で長さ33m。現在の橋は1984年の再建。
→関連項目大月[市]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「猿橋」の意味・わかりやすい解説

猿橋
さるはし

山梨県大月市猿橋にある橋。桂川の渓谷にかかる高さ 30mの橋脚のない刎木 (はねき) 橋で,三奇橋の一つとして知られている。長さ 31m。橋名の由来は,サルが対岸に渡る方法に学んでこの橋を考案したことによるという。

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事典・日本の観光資源 「猿橋」の解説

猿橋

(山梨県大月市)
日本三奇橋」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の猿橋の言及

【猿橋】より

…山梨県大月市の東郊,相模川の支流桂川の渓谷にかかる木橋。〈えんきょう〉ともいう。創建の時期は明らかではないが,きわめて古いと推定され,1226年(嘉禄2)にはすでに文書に記録が見られる。両岸から4層に順次張り出した刎木(はねき)の上に木の橋桁を渡し,刎木の他端は地中に埋め込まれ,安定を保っている。このような工法は刎木橋または肱木橋(ひじきばし)と呼ばれたが,現在の分類からすればカンチレバー形式に属する。…

【三奇橋】より

…日本の古橋の中でとくに構造的に変わったものとしてあげられてきた岩国(山口県)の錦帯橋,甲斐(山梨県)の猿橋,黒部(富山県)の愛本橋をいう。愛本橋の代りに木曾の桟(かけはし)あるいは祖谷(いや)(徳島県)のかずら橋を入れる説もあるが,桟はけわしい崖に沿って板をかけ渡した橋で,構造的には上述の諸橋ほどの特色はない。…

【橋】より

…いずれにせよ寿命は短く,とくに平地河川の木橋は洪水や戦火により存亡つねならぬ状況であった。その中で世界に誇れるものとして,三奇橋と称される猿橋,錦帯橋,愛本橋(かわりに木曾の桟(かけはし)をあげる場合もある)がある。甲斐の猿橋は7世紀に百済(くだら)の帰化人によってつくられたというが定かではない。…

※「猿橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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