猶存社(読み)ユウゾンシャ

デジタル大辞泉 「猶存社」の意味・読み・例文・類語

ゆうぞん‐しゃ〔イウゾン‐〕【猶存社】

大正8年(1919)大川周明満川亀太郎北一輝らが結成した右翼団体。日本帝国の改造とアジア民族の解放を掲げたが、北と大川対立から同12年に解散

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「猶存社」の意味・わかりやすい解説

猶存社
ゆうぞんしゃ

1919年(大正8)8月、国家改造を目的として創立された最初の国家社会主義系右翼団体。満川亀太郎(みつかわかめたろう)が大川周明(しゅうめい)と相談して、現状打破の実践的組織をつくろうと考え、事務所として借りた家に陶淵明(とうえんめい)の詩からとった「猶存社」という表札を掲げ、北一輝(きたいっき)を指導者にしようと大川が上海(シャンハイ)まで迎えに行った。20年1月1日、北が帰国するが、この3人のほか同人に岩田富美夫(ふみお)、清水行之助(しみずぎょうのすけ)、綾川武治(あやかわたけはる)、笠木良明(かさきよしあき)、安岡正篤(まさひろ)、鹿子木員信(かのこぎかずのぶ)などがいた。北一輝の『国家改造案原理大綱』を中心操典として配布に努め、「日本帝国の改造とアジア民族の解放」を中心スローガンとし、「革命日本の建設、日本国家の合理的組織、民族解放運動、道義的対外政策の遂行、改造運動の連絡」などの綱領を掲げた。9月、機関誌『雄叫(おたけび)』を発刊、「吾々(われわれ)日本民族は人類解放戦の旋風的渦心でなければならぬ」を冒頭とする宣言を発表、学生、軍人などに影響を与えたが、北と大川の間に対立が生じ、23年3月解散した。猶存社の流れをくむものに、大化会、行地社(こうちしゃ)、神武(じんむ)会などがあるが、戦後の右翼団体、猶存社は性格の違う団体である。

[大野達三]

『斉藤三郎著『日本思想犯罪事件の綜合的研究』(『思想研究資料特輯』第53号・1939・司法省刑事局)』『田中惣五郎著『増補版 北一輝』(1971・三一書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「猶存社」の意味・わかりやすい解説

猶存社 (ゆうぞんしゃ)

1919年(大正8)に設立された,〈国家改造〉を目的とした最初の国家主義団体。社名は陶淵明の詩〈雖三径就荒松菊猶存〉にちなんだという。前年来の老壮会の活動にあきたらなくなっていた満川亀太郎が,より実践的な活動をめざして設立を首唱した。1919年理論的指導者とするため北一輝を呼びよせるよう満川に依頼されて上海に赴いた大川周明が北の《国家改造案原理大綱》(のち《日本改造法案大綱》と改題)をもち帰ると,ただちにそれを刊行したのを皮切りに,翌年北の帰国後,機関誌《雄叫》の発行,〈革命日本の建設,日本国民の合理的組織,民族解放運動,道義的対外策の遂行〉など7綱領の制定など,組織としての内実を整えていった。この間,鹿子木員信,安岡正篤,笠木良明らが同人となった。また日の会(東大),潮の会(早大),魂の会(拓殖大)などの学生組織を作った。21年の宮中某重大事件では反山県有朋派の一翼として全社をあげて活動したが,活動の方向性の違いから北と大川が対立し別れたため,解消した。
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百科事典マイペディア 「猶存社」の意味・わかりやすい解説

猶存社【ゆうぞんしゃ】

1919年大川周明・満川亀太郎らが設立した国家主義団体。日本の国家改造とアジア民族解放を標榜(ひょうぼう)。機関紙《雄叫》を発行,北一輝の《日本改造法案大綱》を刊行。1921年の宮中某重大事件では反山県有朋派として全社をあげて活動したが,のち大川と北とが対立して1923年解散。→行地社

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「猶存社」の意味・わかりやすい解説

猶存社
ゆうぞんしゃ

1919年老壮会を母体として生れた「革新」派右翼の団体。北一輝が創立者で,大川周明,満川亀太郎,安岡正篤らがいた。北の『日本改造法案大綱』を行動要領として革命的大帝国の建設運動,国民精神の創造的革命,アジア民族の解放など8大綱領を決め,20年に機関紙『雄叫 (おたけび) 』を発刊した。しかし北,大川の争いが高じ,23年3月解散。のち彼らは五・一五事件二・二六事件にそれぞれ主役を演じた。猶存社を母体として行地社,神武会が生れた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「猶存社」の解説

猶存社
ゆうぞんしゃ

大正期に国家改造を意図して結成された最初の実践団体。1919年(大正8)8月1日,満川亀太郎・大川周明らが「革命日本の建設・改造運動の連絡」のために創立。翌年中国から北一輝(いっき)を迎え,その原稿「国家改造案原理大綱」を印刷・配布した。同人に鹿子木員信(かのこぎかずのぶ)・安岡正篤(まさひろ)・清水行之助・西田税(みつぎ)らがいる。怪文書によって既成勢力を攻撃する北と,教化啓蒙に力を注ぐ大川・満川との方針をめぐる対立から,23年2月解散。

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旺文社日本史事典 三訂版 「猶存社」の解説

猶存社
ゆうぞんしゃ

大正後期の国粋主義団体(1919〜23)
北一輝が1919年に結成。大川周明・西田税 (みつぎ) らが加わり,革新右翼の源流となる。日本帝国の改造とアジア民族の解放を唱えた。'23年に解散。一部は行地社を結成した。

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世界大百科事典(旧版)内の猶存社の言及

【右翼】より

…18年の米騒動を契機に,国内では各種の社会運動が高揚し,第1次世界大戦後には中国や朝鮮で反日民族独立運動がおこり,ベルサイユ・ワシントン体制のもとで日本が孤立化するという状況があらわれると,危機感を強めた右翼のなかから〈国家改造〉を主張する新しいファッショ的な思想と運動が台頭してきた。その指標となったのが,19年に書かれた北一輝の《国家改造案原理大綱》(1923年に《日本改造法案大綱》と改題して出版)と同年北,大川周明,満川亀太郎らによる猶存社の結成であった。これ以後多くのファッショ団体が結成され,天皇中心主義による〈国家改造〉(〈昭和維新〉の断行),農本主義と家族主義,反ソ反共,反民主主義,反自由主義,反財閥,ベルサイユ・ワシントン体制打破,大アジア主義による大陸進出などの主張をかかげて活発な運動を展開した。…

【行地社】より

…機関誌として月刊《日本》を発行。初め満川亀太郎,笠木良明,安岡正篤,西田税など猶存社の主要メンバーが集まったので,当時最も有力な国家主義団体とみられていた。しかし,25年の安田生命争議や宮内省怪文書事件をきっかけに国家主義者間の大川派と北一輝派との対立が表面化すると,社内でも内訌(ないこう)がおきた。…

※「猶存社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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