狭穂彦狭穂姫(読み)さほびこさほびめ

改訂新版 世界大百科事典 「狭穂彦狭穂姫」の意味・わかりやすい解説

狭穂彦・狭穂姫 (さほびこさほびめ)

記紀の垂仁朝の物語に登場する兄妹。《古事記》では沙本毘古・沙本毘売と記す。同書の開化天皇条では,開化天皇の皇子日子坐(ひこいます)王と沙本之大闇見戸売(さほのおおくらみとめ)のあいだの子とされる。王位奪を企てたサホビコは,11代とされる垂仁天皇の妃となっていた妹サホビメに,謀叛に荷担して天皇を殺すようそそのかす。兄と夫の板ばさみになったサホビメは,いったんは天皇を殺そうとするが果たせず,企ては露見する。天皇はサホビコ討伐の軍をおこし,サホビメは兄の方にはしる。そのときヒメはみごもっていた(《日本書紀》では,皇子を抱いて兄の方へはしった,とされる)。妃を愛する天皇が攻めあぐむうちに皇子が生まれる。サホビメはその子にホムツワケノミコ(誉津別命)と命名してから天皇方に手渡し,みずからは兄とともに自滅する。

 兄と夫のいずれかを選ばねばならなくなったとき,古代の女性は当然のこととして兄を選んだ。当時,同母兄弟姉妹は特殊な紐帯で結ばれ,姉妹は兄弟を守護する霊能をもつと信じられていたからである。この紐帯を軸に,兄弟姉妹が政治権と宗教権を分掌し一族を支配する二重支配体制ができあがった。これをヒメ・ヒコ制と呼ぶ。しかしこれは血縁紐帯を基軸とする氏族制社会のものであり,律令国家形成の過程で終息させられねばならなかった。諸豪族の姉妹を天皇家に召し上げ,宗教権を中央に集中させるという政策がすすめられた。サホビメもそうした姉妹の一人である。記紀によれば,欠史時代八代に続く崇神・垂仁朝は,宗教権の集中がほぼ完了し,国家的神祇制度が確立した時代として語られている。この〈歴史〉を通じてサホビメ物語をよむと,サホビコは,かつての兄妹の蜜月時代を復活させようと企てたが失敗し,兄妹は結局過ぎ去ったヒメ・ヒコ制の時代に殉じたのだと解釈できる。大筋は同じとはいえ,兄妹に儒教道徳風な弁明をさせて話のつじつまをあわせている《日本書紀》にくらべると,《古事記》の物語のほうがはるかに感動的で,全巻の中でも特に文学的香気を放っている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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