独立派(読み)どくりつは(英語表記)Independents

日本大百科全書(ニッポニカ) 「独立派」の意味・わかりやすい解説

独立派
どくりつは
Independents

宗教上の党派としては、17世紀イギリスにおいて独立教会制度を提唱した会衆派をさすが、政治的には、ピューリタン革命において会衆派およびキリスト教諸教派を支援母体とした議会派の一党派をさす。インディペンデンツともいう。

 議会派においては、内戦に至るまでは、議会に強固な勢力をもち厳格な長老教会制度の確立を主張する長老派の勢力が、圧倒的な優位にたっていた。しかし内戦の結果、その力を明らかにした軍の利害を代表する党派が現れた。これが独立派である。独立派は、軍隊内部に強かったピューリタニズムの影響力を背景に、信仰における完全な自由を主張しつつ、他方、土地所有者の利害を代表して、レベラーズ平等派または水平派ともいう)の主張する政治改革を退けた。指導者はO・クロムウェル、アイアトンら軍幹部で、護国卿(ごこくきょう)政権時代を、ほぼ独立派の政治指導が貫徹していた時期とみなすことができる。しかし独立派は在地の有力者層の支持を得ることができず、クロムウェルの死とともに支持基盤が崩壊し、その支配も終わりを告げた。(書籍版 1987年)
小泉 徹]

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改訂新版 世界大百科事典 「独立派」の意味・わかりやすい解説

独立派 (どくりつは)
Independents

イギリス,ピューリタン革命において議会派の中核となった宗教・政治党派。宗教的には,エリザベス1世治世に出現した英国国教会からの分離派(ブラウン派)に由来し,地域の教会会衆組織(コングリゲーション)の個々の自律性を主張して,全国的な教会統治機構をとる国教会と長老派のいずれにも反対した。内乱中の1643年,スコットランドとの軍事同盟締結の際に開かれたウェストミンスター宗教会議において,その立場を明らかにし,議会ことに議会軍内部に勢力を伸ばした。独立派を構成する主力は,会衆派とバプティストであったが,宗教的寛容を唱えて再洗礼派や第五王国派などの急進主義諸教派をもその傘下に結集した。45年長老派の戦闘指導を退けてニューモデル軍を結成し,ついで議会からも長老派議員を追放した。さらに国王を処刑し,共和国を樹立,最後にはその指導者クロムウェルのもとで独裁政権を組織するなど,ピューリタン革命の推進勢力であった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「独立派」の意味・わかりやすい解説

独立派
どくりつは
Independents

イギリスの清教徒革命の中心勢力となった宗教的・政治的一派。宗教的にはカルバン主義を信奉し,分離派の流れをくみ,長老派と諸教派の中間に位置して,個々の教会の自主性を要求したためこの名で呼ばれ,また会衆派,組合教会派ともいう。明確には 1643年末ウェストミンスター宗教会議で出現。革命勢力としては O.クロムウェル,H.アイアトンら軍隊士官を中心に支持者が多く,プライドの追放 (1648) によって,長老派を退けて革命の主導権を掌握し,平等派と結んで国王チャールズ1世を処刑し,共和制を樹立したのち,平等派を弾圧してクロムウェルの護国卿政権を生んだ。王政復古以後は急速に衰退。

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百科事典マイペディア 「独立派」の意味・わかりやすい解説

独立派【どくりつは】

英国のピューリタン革命の中心勢力となった党派Independents。カルバンの流れをくみ,個々の教会の自主独立を主張。クロムウェルの指導のもとに軍隊を中心に勢力を伸ばし,長老派や水平派(レベラーズ)をしりぞけて共和制の実権を握った。18世紀まで会衆派教会の別名。
→関連項目アイアトン長期議会

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「独立派」の解説

独立派(どくりつは)
Independents

ピューリタン革命の主導勢力になったピューリタンの一派。宗教的には長老派とセクトの中間に位置して,各個教会の自主・独立を主張したが,政治的にはクロムウェル(オリヴァー)を指導者に議会軍士官に支持者が多く,軍の勝利を背景にして,国王処刑,共和政へと革命を導いた。護国卿政権の中核であったため,王政復古後は急速に解体し,会衆派として非国教徒の一部を占める存在になった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「独立派」の解説

独立派
どくりつは
Independents

ピューリタン革命の際,議会派の中心となった一派
イギリス国教会からの完全な分離独立を主張し,信者の自発的な集まりとしての個々の教会を中心に結束した。新興市民層やヨーマン(独立自営農民)の支持を得て,ピューリタン革命では議会軍の中核となり,クロムウェルの指導下に革命の推進力となった。革命勝利後の1648年12月,長老派を議会から追放(プライドの追放)して議会の実権を握り,国王チャールズ1世を処刑して下院を基礎とする共和政を行った。また1649年には財産の平等と社会変革をはかる水平派に大弾圧を加えた。

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世界大百科事典(旧版)内の独立派の言及

【キリスト教】より

… イギリスにおいてルター,カルバンの改革思想をうけつぎ,国教会の不徹底な改革を徹底させて近代化の道を開いたのはピューリタン(清教徒)である。R.ブラウン,グリーンウッドJohn Greenwood(?‐1593),バローHenry Barrow(1550ころ‐93)らは国教会から出て独立派independentsとなり,会議制的な長老派をも退けて個々の教会の自主性をたっとび,教職・平信徒の区別のない〈万人祭司〉を実現しようとした。これが会衆派教会(コングリゲーショナル・チャーチ)の基となった。…

【クロムウェル】より

…44年マンチェスター伯のもとで東部連合軍副司令官となり,マーストン・ムアの戦勝によって,その部隊は〈鉄騎隊Ironsides〉とよばれた。以後国王に対して徹底抗戦を主張する独立派のリーダーとして,マンチェスター伯ら長老派の妥協的な戦闘指導を批判し,議会軍の改革を主張した。45年議会軍が鉄騎隊にならって〈ニューモデル軍〉に改組されると,その副司令官に就任し,6月ネーズビーで国王軍にとどめを刺した。…

※「独立派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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