狂犬病ウイルス

内科学 第10版 「狂犬病ウイルス」の解説

狂犬病ウイルス(ー 鎖 RNAウイルスによる感染症)

(7)狂犬病ウイルス(rabies virus)
定義・概念
 狂犬病ウイルスは,致死性の人獣共通感染症である狂犬病(rabies)の原因ウイルスである.イヌのほかにも,ネコ,サル,キツネ,コウモリなど,多くの哺乳類に感染可能であり,感染動物の咬傷によって唾液中のウイルスがヒトに感染することが多い.狂犬病は,現在もいったん発病すればほぼ100%死に至る.WHOの試算では世界で年間約5500人が狂犬病で死亡しており,その99%は狂犬病ウイルスに感染したイヌの咬傷によると推計されているが,粘膜汚染や臓器移植による感染例も報告されている.
病因
 狂犬病ウイルスは,ラブドウイルス科(Rhabdoviridae),リッサウイルス属(Lyssavirus:lyssaとはギリシャ語で精神錯乱を意味する)に分類されており,長さ100~300 nm,直径75~80 nmの弾丸状の形態を有する一本鎖RNAウイルスである.現在,リッサウイルス属のウイルスは遺伝子型などにより7種類に分けられており,古典的な狂犬病ウイルスはその中の1型に分類されている.
疫学
 狂犬病は世界各地で発生しており,およそ33億人が狂犬病の存在する地域で生活している.現在,狂犬病の発生がみられないのは日本のほか,英国,ニュージーランド,台湾,スウェーデンノルウェースペインなど一部の国だけである. 日本国内における狂犬病の発生は1950年の狂犬病予防法の実施後に激減し,国内での感染患者は1954年を最後に途絶え,動物の感染事例も1957年以降はみられていない.現在は輸入感染症としての注意が必要であり,これまで1970年にネパールからの帰国者(1件),2006年にフィリピンからの帰国者(2件)における発生が報告されている.
病態生理
 咬傷によって侵入したウイルスは筋肉内で多少の複製をした後,アセチルコリン受容体を介して末梢神経内に侵入し,運動神経の細胞体がある脊髄前角に達して中枢神経へ感染が広がる.脳の灰白質でウイルスは活発に増殖し,神経細胞の細胞質にはNegri小体とよばれる好酸性の封入体が認められる.
臨床症状
 潜伏期は通常1~3カ月であるが,まれに数年後に発病する場合もある(75%が90日以内,95%が1年以内).一般に,咬傷部位が頭に近くなるほど潜伏期が短くなる.発病の最初の徴候は発熱,不安感,倦怠感など非特異的だが,咬傷部位の知覚過敏や疼痛を伴うこともある.数日間のこれらの症状に続いて急性神経症状が出現する.その8割では狂躁型(脳炎型)を呈し,間欠的な不穏・興奮・錯乱,唾液の分泌亢進,咽頭喉頭筋群の痙攣に伴う痛みから恐水症(水を飲むことを極度に恐れる)や恐風症(顔に風が当たっても咽頭の痙攣が誘発される)の症状を生じる.一方,2割の患者では麻痺型を示し,Guillain-Barr′e症候群と似た上行性の運動麻痺(弛緩性麻痺)を呈する.狂躁型も進行すると麻痺状態になり,2~14日間の経過で昏睡に陥って,呼吸麻痺から死に至る.
鑑別診断
 流行地に滞在後に不可解な神経・精神症状を呈してくる例で念頭におく.鑑別すべき疾患には,他のウイルスによる脳炎(日本脳炎,単純ヘルペス脳炎,ポリオ,ニパウイルス感染症,ウエストナイル脳炎など),破傷風,中毒があるが,麻痺型では特にGuillain-Barr′e症候群との鑑別が必要となる.
検査成績
 生前の確定診断に有用な検査は,唾液からのPCR法によるウイルスRNAの検出や,髪の生え際の項部皮膚生検によるウイルス抗原の証明がある.血清・髄液中の抗ウイルス抗体の上昇も神経症状発病後にみられる.しかし,生前には診断がつかずに剖検で脳組織内のウイルス抗原を検出して診断されることも多い.
治療・予防
 発症すればほぼ100%の致死率となる狂犬病では予防措置が重要となる.暴露前に予防接種を行っていれば,咬傷時に追加ワクチン接種を2回(0,3日)行うことで確実に発病を回避できる.ワクチンによる重篤な副作用はきわめてまれである. 暴露後の予防措置は①創部をよく洗うこと,②ワクチン接種による能動免疫を可及的速やかに開始すること(接種開始7日目頃から中和抗体産生がみられる),③危険性に応じて抗狂犬病免疫グロブリン(RIG)を創部周辺に注射しウイルスを中和する受動免疫の併用であるが,日本国内にはRIGはない.日本では,暴露後0,3,7,14,30,90日目の計6回のワクチン接種が勧められている.ただし,唾液中にウイルスを産生するイヌやネコは自身も必ず狂犬病を発症してくるので,加害犬・猫を10日間観察しても症状がないことが確認できれば,狂犬病の危険はなくなる. 狂犬病発病後において有効性が証明された治療法はなく,ほぼ100%が死に至る.[藤井 毅]
■文献
菅沼明彦:狂犬病.小児科臨床, 62:
757-763, 2009高山直秀:ヒトの狂犬病・忘れられた死の病,時空出版,東京.2000.
Warrell MJ, Warrell DA: Rabies and other lyssavirus diseases. Lancet, 363: 959-969, 2004

出典 内科学 第10版内科学 第10版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「狂犬病ウイルス」の意味・わかりやすい解説

狂犬病ウイルス
きょうけんびょうういるす

ラブドウイルス科Rhabdovirusリッサウイルス属Lyssavirusに属するウイルス。学名はRabies virus。狂犬病の病原体である。

 ウイルス粒子の形態は砲弾形、直径60ナノメートル、長さ180ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1メートル)で、エンベロープ(外被)をもつ。ゲノムはマイナス極性をもつ1本鎖RNA(リボ核酸)、分子量は4×106ダルトン(1ダルトンは1.661×10-27キログラム)、塩基数11×103からなる。ウイルスRNAはヌクレオタンパク質(N)が螺旋(らせん)状に配列し、それにポリメラーゼ活性(ポリメラーゼはRNA鋳型もしくはDNA鋳型から、RNA形成を触媒する酵素)がある。ラージタンパク質(L)とNSタンパク質non-structure proteinが結合してヌクレオカプシド(カプシドに直接取り込まれているウイルスの核酸)を形成する。エンベロープは脂質二重層から糖タンパク質(G)がスパイク状に突き出す。エンベロープの内側にはマトリックスタンパク質(M)が内側にあり、エンベロープを支えている。

 感染はエンベロープのGタンパク質が宿主(しゅくしゅ)(ウイルスの寄生対象となる生物)細胞表面のアセチルコリンレセプター(受容体)に吸着することから始まる。エンドサイトーシスという宿主細胞の取込み作用を利用して細胞質中に入る。エンベロープ融合でヌクレオカプシドが細胞質中で裸出。次に、ウイルスのもつRNAポリメラーゼの働きで、5種類のmRNA(メッセンジャーRNA)が転写される。これにより、ウイルスタンパク質の合成、ウイルスRNAへの複製へと進行する。このあと、これらが集合し、エンベロープ形成の後、外部に放出され、ウイルス粒子がビリオン(細胞外で感染性を有するウイルス粒子)として完成する。また、この経過のなかで細胞質内に封入体を形成する。

[曽根田正己]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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