物云舞(読み)ものいうまい

世界大百科事典(旧版)内の物云舞の言及

【小歌(小唄)】より

…鎌倉時代の《弁内侍日記(べんのないしにつき)》(1252年(建長4)成立)には,こうした五節間の記事とともに,女房たちが宴席において五節の出歌のまねをして遊んだことなども記され,五節間に行われた短詩型の歌謡群が,やがて遊宴歌謡化して中世小歌の母体ともなったであろうことを明らかに推測せしめる。志田延義は平松家旧蔵の《異本梁塵秘抄口伝集》(1185年(文治1)以後成立か)の奥書や,《綾小路俊量卿記(あやのこうじとしかずきようき)》(1514年(永正11)成立)の〈五節間郢曲事(ごせちかんえいきよくのこと)〉に見られる〈鬢多々良(びんたたら)〉〈思之津(おもいのつ)〉〈物云舞(ものいうまい)〉〈伊左立奈牟(いざたちなん)〉〈白薄様(しろうすよう)〉など,五節豊明(ごせちとよのあかり)の節会の殿上淵酔(てんじようえんずい)に行われた諸歌謡の中に,中世小歌の律調上の源泉とすべきものを見いだし,わけても, 千世に万世(よろずよ) かさなるは 鶴のむれゐる 亀岡(7・5・7・4)に始まる13首の物云舞のごとく,各歌の末尾にある4音(小歌では5音に変化)が,中世歌謡に著しくなる一特色として,後来の小歌の律形式の一源泉であることを指摘した。中世初期の小歌は,おもに傀儡女(くぐつめ),遊女,白拍子(しらびようし)などの女性遊芸者群によって広められたが,また当時の公家や禅僧の日記類によれば,宮廷,貴紳の間に出入りした平家語りの座頭や連歌師,猿楽者,田楽法師,放下師などの専門芸能者によって〈舞〉と結合して謡われた小歌が,やがて宴席に列する女中衆の口唱にものぼったことがうかがわれる。…

※「物云舞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」