デジタル大辞泉
「照葉狂言」の意味・読み・例文・類語
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てりは‐きょうげん ‥キャウゲン【照葉狂言】
[1] 〘名〙 (「てには俄狂言」の変化したものとも、照葉という女性が創始したからともいう) 江戸末期から明治中期まで流行した民間
演芸の
一種。能や狂言に、
当世風の俗謡や
踊りをまじえ、歌舞伎の
所作を取り入れた演芸。
囃子に三味線を加える。てるは狂言。〔
随筆・
守貞漫稿(1837‐53)〕
[2] 小説。泉鏡花作。明治二九年(
一八九六)読売新聞に連載。孤児で美少年の貢と、彼が姉と慕うお雪、照葉狂言師匠小親への清純な愛情を叙情的に描いた作品。森鴎外訳「
即興詩人」の影響が見られる。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
照葉狂言 (てりはきょうげん)
江戸末期から明治中期まで行われた民間演芸の一つ。能狂言に歌舞伎,俄(にわか),音曲などを交えたもの。囃子は能の楽器のほかに三味線を加えた。今様能,吾妻能狂言,泉祐(仙助)能(せんすけのう)などと呼ぶのも同系統。名称の由来はわかっていない。嘉永(1848-54)のころ大坂で始まり,安政(1854-60)のころから江戸に及び,寄席の芸となった。1894年2月東京の歌舞伎座で,泉祐三郎・さくの夫婦が,3日間にわたり今様能の慈善興行を催した。このときの記録があるので,その具体的な内容がわかる。明治末期には消滅したらしい。
執筆者:服部 幸雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
照葉狂言
てりはきょうげん
「てるは狂言」ともいう。語源は明らかでないが『守貞漫稿』に「てりは,てには俄狂言の訛略と云り」とある。「今様能狂言」「吾妻能狂言」「泉祐 (仙助) 能」の系統で,本行の能,狂言に歌舞伎,浄瑠璃,舞踊,軽業などの入れ事をし,囃子に三味線を加え,遠見の書割りを使用して俄 (にわか) 風に仕立てたもの。嘉永年間 (1848~54) 大坂に興り,安政年間 (54~60) には山本春三郎一座が江戸に下って明治初年まで活躍した。このほか林寿三郎の一座では女性が能,狂言を演じ,拍子方,ときに狂言方も男性が担当して人気を得た。いずれも明治のなかばに滅んだ。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報