焼津北村(読み)やいづきたむら

日本歴史地名大系 「焼津北村」の解説

焼津北村
やいづきたむら

[現在地名]焼津市栄町さかえまち一―四丁目・同六丁目・駅北えききた二―三丁目

瀬戸せと川下流の右岸にあり、焼津村の北に位置する。益津ましづ郡に属し、古くはきた村と称した(元禄郷帳)。寛永一二年(一六三五)の山西領水野監物知行渡村之帳に北村とみえ、高二七二石余、田中藩領。その後も引続き同藩領であったと考えられ(寛永一九年田中領郷村高帳、「寛文朱印留」、国立史料館本元禄郷帳など)、安永六年(一七七七)以後の領主変遷は焼津村に同じ。寛永一九年の前掲郷村高帳では高一三〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報