無足人(読み)むそくにん

精選版 日本国語大辞典 「無足人」の意味・読み・例文・類語

むそく‐にん【無足人】

〘名〙
中世近世家臣でありながら知行・給地を与えられていない者。また、所領・財産がない貧しい者。無足衆。無足。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※葉隠(1716頃)一「是を取迦(とりはず)して無足人に罷成(まかりなる)事は不忠」
江戸時代軽輩の士分で知行地がなく扶持給米を受ける者。身分的には知行取の給人の下、足軽・卒の上に位置する。
※俳諧・笈日記(1695)中「袖にかなぐる前髪の露〈芭蕉〉 咲花に二腰はさむ無足人〈露川〉」
③ 江戸時代、準士分の上層農民をいう。

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デジタル大辞泉 「無足人」の意味・読み・例文・類語

むそく‐にん【無足人】

無足1である人。
近世、準士分の上層農民。

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改訂新版 世界大百科事典 「無足人」の意味・わかりやすい解説

無足人 (むそくにん)

(1)無足,無足の仁,無足の輩,無足の族(やから),無足衆ともいう。日本中世で主従関係を結びながら知行する所領,所帯を与えられていない下級の家臣。〈足〉は家臣として課役をつとめる義務を負う所領のこと。鎌倉期,将軍側近武士などにも〈無足近仕〉(《吾妻鏡》)とか,〈無足の身に候ほどに,在所いづくに候べしとも覚えず〉(《蒙古襲来絵詞》)といわれるような無足人は多く,幕府法でも所領,所帯の有無で刑罰を異にした(《御成敗式目》)。室町・戦国期,無足人は〈無足,不足之仁〉ともいわれて御家人とも凡下(ぼんげ)とも別に扱われ,刑罰の適用も〈さぶらいたらば,しよたいをけつしよすべし,所帯なくばたこくさせべし,地下のものたらば,そのおもてにやきがねをあてべし〉というように,侍は所領没収,無足の輩は他国追放,それ以下の地下人=凡下は顔に焼判(身体刑)というように,侍とも凡下とも区別された(《大内氏掟書》《塵芥集》)。《日葡辞書》は〈チギャウの不足を補うに足る収入も恩給もない人〉,転じて不足,無収入の貧しい軽輩とする。
執筆者:(2)近世には切米取(きりまいとり),扶持米取(ふちまいとり)の下級武士をさす場合が多い。また伊勢津藩や近江甲賀郡では郷士的な上層農民を無足人といった。これとは逆に肥前唐津藩では水呑百姓を意味していた。持つべきもの(知行地や耕地)を持たない人という点で,用法には共通性がある。
執筆者:

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旺文社日本史事典 三訂版 「無足人」の解説

無足人
むそくにん

中世〜近世の家臣で,知行地をもたない者
鎌倉・室町時代,所領のない武士をいい,戦国・江戸時代には扶持米をうける軽輩の武士を呼ぶようになった。また農村内においては,郷士の別称(藤堂藩)などに用いられ,人足役を減免されている上級農民をさしたが,一方肥前唐津藩では,本百姓に対し,土地をもたない百姓を無足人といった。

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世界大百科事典(旧版)内の無足人の言及

【伊賀国】より

…その後,36年(寛永13)に高虎の義子高吉が名張郡簗瀬の寨(とりで)に配されて名張家2万石の祖となったが,家臣の最高位という位置を出なかったから,廃藩置県まで津藩の一国支配が続いた。津藩は旧土豪層を無足人(むそくにん)(在郷武士)に取り立て,また伊賀者に採用して,伊賀の安定をはかった。草高は,64年(寛文4)で阿拝,山田,名張,伊賀4郡合わせて10万0540石。…

【郷士】より

…郷士にはさまざまな種類があり,類型化は容易ではないが,大きくは(1)旧族郷士,(2)取立郷士に分けられる。(1)旧族郷士は,元来は正規の武士になるべきものが,近世初頭あるいはその後になんらかの事情により郷士となったもので,薩摩藩の外城(とじよう)衆,土佐藩の郷士,津藩や近江甲賀郡の無足人十津川郷士などが知られている。日向延岡藩の小侍,郷足軽もこれにあたる。…

※「無足人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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