烏帽子親(読み)えぼしおや

精選版 日本国語大辞典 「烏帽子親」の意味・読み・例文・類語

えぼし‐おや【烏帽子親】

〘名〙 仮親の一つ。武家の男子が元服の際、親に代わって烏帽子をかぶらせ、烏帽子名を付ける人。普通、将来を託すべき有力者を仮親に頼む。現在も東北の一部、関東から関西にかけての各地にあり、男の一五歳、または一七歳に親子関係を結び、指導世話を頼む。元服親。⇔烏帽子子(えぼしご)
平治(1220頃か)下「烏帽子親もなければ、手づから源九郎義経とこそ名乗り侍れ」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「烏帽子親」の意味・読み・例文・類語

えぼし‐おや【×帽子親】

武家で男子が元服するとき、烏帽子をかぶせてやり、烏帽子名をつける仮の親。元服親。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「烏帽子親」の意味・わかりやすい解説

烏帽子親 (えぼしおや)

元服儀式の際の加冠者。中世武家社会において男子が成人に達して元服の儀式を行う場合,特定の人に依頼して当人の頭に烏帽子をかぶせる役を務めてもらうのが通例とされていた。これを烏帽子親といい,当人を烏帽子子と呼んだ。その際童名を廃して烏帽子親により名が付けられる例が多かった。これを烏帽子名という。《吾妻鏡》治承4年(1180)10月2日条に源頼朝は乳母小山政光妻(寒河尼)の依頼により息男の元服に烏帽子親となったとある。このように烏帽子親は主君の場合もあるが,一族または他氏の中でその長,あるいは頼みとなる武勇・才能にすぐれた有力者に委嘱する例が多かった。曾我五郎(時致)は北条第で元服し,時政より一字名を与えられているし(《曾我物語》),武蔵国住人大串重次は畠山重忠の烏帽子子であったという(《平家物語》)。鎌倉期にはその関係は重視されており,1235年(嘉禎1)の幕府追加法でも評定のときの退座分限の制規に祖父母父母,養父母,子孫,養子孫,兄弟,姉妹,婿,舅,相舅,伯叔父,甥姪,従父兄弟,小舅,夫と並んで烏帽子子が加えられており,鎌倉後期の《沙汰未練書》にも退座分限の親類縁者等の事として同様の記載があるところから,鎌倉期にはほぼ烏帽子親子の関係は血縁関係者に準じて取り扱われていたことがわかる。室町期になるとその制規に形式化の傾向がみられ,またその習俗も広く民間に行きわたったものと思われる。現在も京都付近をはじめ,東北の一部,関東・関西の各地にその儀礼が伝存している。
擬制的親族関係
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「烏帽子親」の意味・わかりやすい解説

烏帽子親
えぼしおや

男子成年時にたてる仮の親。元服親、ヘコ親など各種の名称がある。ヨボシオヤ、ユブシオヤ、エブシオヤ、エベスオヤとなまる所もある。子のほうは烏帽子子(えぼしご)。烏帽子は古代の役人が用いた圭冠(けいかん)の系統を引く被(かぶ)り物で、公家(くげ)社会では元服に際し、初冠(ういこうぶり)といって冠、烏帽子を初めて頂く儀式が行われた。中世武家社会でも、元服に烏帽子をかぶせる役は烏帽子親とよんで重視され、元服した当人(冠者(かんじゃ))と仮の親子関係を結ぶ習わしがおこった。そのとき烏帽子親の名前の一字をもらって名のりを定める風もみられた。やがて、16世紀ごろからは烏帽子をかぶる習慣は衰えたが、烏帽子親の名称は元服祝いが繰り返されるたびに残り、今日に及んでいる。この仮親には一般に村内の有力者を求める傾向があり、これと親方(親分)・子方(子分)の関係、すなわち擬制的親子関係を結ぶことになる。双方の間には庇護(ひご)と奉仕の互酬関係が一生にわたって続けられるのを常とする。なお、男子の烏帽子親に対して女子の成年時の仮親を鉄漿(かね)親というが、女子の場合をもエボシオヤとよぶ所がある。

[竹田 旦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「烏帽子親」の意味・わかりやすい解説

烏帽子親【えぼしおや】

男子の成年に際して立てる仮親。兵児親(へこおや)とも。成年式に立ち会い,親子の契りを結び,将来の生活の保護に当たる。初めは本家筋を頼んだが,次第に村の有力者が選ばれるようになった。武家社会の元服加冠の式にならったもので,《吾妻鏡》にみえる。
→関連項目鉄漿親元服名付親袴着

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「烏帽子親」の解説

烏帽子親
えぼしおや

男子の成年式にその後見として依頼する仮の親。女子の場合は鉄漿親(かねおや)。鎌倉時代の武家社会では男子が元服の式に烏帽子をかぶる儀礼があり,その際に有力者を仮親にたててかぶせてもらい,童名を廃して烏帽子名をつける例が多い。以後烏帽子親・烏帽子子として擬制的親子関係を結んだ。この関係は室町時代以降は形式化したが,近世以降は民間にも浸透し,現在でも成年式に仮親をとる地域がある。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「烏帽子親」の意味・わかりやすい解説

烏帽子親
えぼしおや

儀礼的親子関係の一種で,男子が成人に際して立てる仮親。元服親ともいう。元来は武家社会で元服をするときに,初冠と称して烏帽子を着ける儀式を行なったが,その際有力者に依頼して烏帽子をかぶせてもらった。これがその後民間でも行われるようになり,有力者を立てることにより将来の庇護を期待した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「烏帽子親」の解説

烏帽子親
えぼしおや

中世武家社会の風習で,成人に達して元服するとき立てられる仮親
元服親ともいう。元服式で烏帽子をかぶらせ,元服名をつけたりする。主君や有力者に依頼し,以後親子に等しい関係が結ばれる。元服者を烏帽子子 (えぼしこ) という。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の烏帽子親の言及

【一字書出】より

…古文書の一様式。元服のとき烏帽子親(えぼしおや)がその子に命名する際に,自己の実名の1字を与え,その証拠に,狭義にはその1字のみを自身記して与えた文書。名字書出の一形式。…

【親分・子分】より

…ムラ人が親分を得てその子分となる機会は,人生の通過儀礼の節目ごとに見いだされえた。出生時に頼む〈取上親〉〈名付親〉,また病弱な子を儀礼上いったん捨て子する形をとり,あらかじめ頼んでおいた人に〈拾い親〉になってもらうことによって健康な子になると考える風習もあったが,最も一般的には,成人するとき男は烏帽子親(えぼしおや),女は鉄漿親(かねおや)を頼み,また結婚するときに仲人親を頼むというように,仮親に依存することであった。ムラや生まれ育ったマチを離れ,生家を離れて他のマチの商家や職人の家の家長を親方とすることは,子飼い住込みの丁稚(弟子)奉公人となるときに,その家の子方となることを意味した。…

【名付親】より

…近親者,一族の長老,主筋の人などに依頼する例が多い。 成人名の場合は元服親,烏帽子親とほぼ同義で,名替親ともいった。この呼称は元服後彼らによって幼名に替えて成人名を与えられたことによるものであろう。…

※「烏帽子親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android