為子内親王(読み)いしないしんのう

朝日日本歴史人物事典 「為子内親王」の解説

為子内親王

没年昌泰2.3.14(899.4.27)
生年:生年不詳
平安前期の光孝天皇と班子女王皇女,醍醐天皇妃。贈一品。光孝の即位後源姓になるが,兄宇多天皇即位後内親王に戻る。寛平9(897)年7月3日甥の醍醐が元服し即位した夜,副臥として入内。2年後出産に際し,死去。宇多天皇と母班子女王が,藤原基経の娘穏子の入内を拒絶して為子を妃にしたため,穏子の母(人康親王の娘)の霊が為子に祟ったとの風説が立った。

(服藤早苗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「為子内親王」の解説

為子内親王 ためこないしんのう

?-899 平安時代前期,光孝天皇の第19皇女。
母は班子(はんし)女王。寛平(かんぴょう)3年内親王,9年醍醐(だいご)天皇の妃となる。昌泰(しょうたい)2年3月14日勧子(かんし)内親王を生んですぐに死去。

為子内親王 いしないしんのう

ためこないしんのう

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android