漢帝陵(読み)かんていりょう(英語表記)Hàn dì líng

改訂新版 世界大百科事典 「漢帝陵」の意味・わかりやすい解説

漢帝陵 (かんていりょう)
Hàn dì líng

前漢の帝陵は文帝灞陵,宣帝社陵が西安南方丘陵にあるほか,他の9陵はすべて渭河北岸,咸陽の五陵原(5陵が陵邑をもつ)上にある。帝陵の比定は従来畢沅(1730-97)の説によっていたが,近年実地調査と古文献との校定により,西から武帝茂陵,昭帝平陵,成帝延陵,平帝康陵,元帝渭陵,哀帝義陵,恵帝安陵,高祖長陵景帝陽陵の順に改められた。漢の陵制は秦のそれを受け継ぎ,截頭方錐形の巨大な封土をもつ。1辺は陽陵,渭陵で共に約160m,高さ約30m,ひときわ大きい茂陵が1辺230余m,高さ46.5mを計る。封土の周囲に四門をもつ土墻がめぐり,北東に皇后陵,さらに東方に数列の陪葬墓群がある。始皇陵と同じく東向きであった可能性が高い。近年,文帝の竇皇后陵,薄太后南陵の随葬坑が調査されたが,その様相も始皇陵東方発見の馬厩坑の状況と似通うところがある。その他陵園,陵邑の詳細はなお不明である。後漢の帝陵は献帝禅陵が河内郡山陽に築かれたほか,11陵は洛陽城周辺のはずであるが,陵名をほぼ比定できるのは孟津県白河公社鉄謝村にある光武帝原陵のみである。前・後漢を通じ,帝王陵で発掘調査されたものはなく,その内部構造や副葬品は不明であるが,文献記載と同時代の墓の発掘調査の実際をあわせ,その一端をうかがうことができる。例えば,棺槨の〈黄腸題湊(心の黄色い柏の材を用いた墓室)〉〈梓宮(天子の柩)〉〈便房(前室)〉は北京大葆台燕王墓,長沙咸家湖曹墓,象鼻咀1号墓,馬王堆1号墓などに見られ,金鏤玉衣や豪華な副葬品は満城漢墓,定県40号墓,曲阜九竜山崖墓などに見ることができる。また,咸陽楊家湾4・5号墓は長陵の陪塚周勃・周亜夫墓かと思われるが,封土をもち,複雑な木造建築の墓室構造で曲尺形の巨大な棺槨があって,漢陵の〈玄宮〉の様相を推測する手がかりとなる。陵墓における儀礼では前漢が廟,寝,便殿を霊魂への日常祭祀のために設けていたのに対し,後漢では皇帝による陵墓での直接祭祀を重んじ,前漢とは異なる陵寝制をとった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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