源融(読み)みなもとのとおる

精選版 日本国語大辞典 「源融」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐とおる【源融】

平安初期の公卿。嵯峨天皇第一二皇子。母は大原全子。源姓を賜わって臣籍に降り、左大臣に至った。河原院をつくって河原左大臣と呼ばれ、宇治の別荘はのちに平等院となった。弘仁一三~寛平七年(八二二‐八九五

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デジタル大辞泉 「源融」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐とおる〔‐とほる〕【源融】

[822~895]平安前期の公卿。嵯峨天皇の皇子。源の姓を賜り、臣籍に降下。六条河原に邸宅を営み、河原左大臣とよばれた。宇治に営んだ別荘はのちに平等院となる。

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改訂新版 世界大百科事典 「源融」の意味・わかりやすい解説

源融 (みなもとのとおる)
生没年:822-895(弘仁13-寛平7)

平安初期の廷臣。河原左大臣と称される。嵯峨一世源氏。母大原全子。仁明天皇の養子となり838年(承和5)内裏元服。累進して左大臣に至ったが,藤原良房,基経らの執政下で力を伸ばしえず,巨富により河原院かわらのいん)や嵯峨の山荘棲霞観(せいかかん)などを営み,豪奢な生活を送った。歌人としても知られる。《大鏡》には彼の皇位への野心を伝える。河原院は宇多上皇の領となった。
執筆者:

融の邸宅河原院は,その景観が賞され,当時の詩歌にしばしば詠じられている。なかでも,陸奥の塩釜を模したことは有名で諸書にみえる。例えば,《古今集》の紀貫之の歌の詞書にみえ,この歌に注して《顕註密勘》は,毎月30石の潮をその池に運び入れ,塩屋で焼く煙が立ちこめたと伝える。能の《》はこの塩釜を素材とした曲である。河原院は融の霊や鬼が出没したことでも有名で,《江談抄》巻四に,宇多院が京極御息所褒子と河原院に赴き房事に及ぶと,融の霊が出現して御息所の下賜を請う。院が叱責すると院の腰を抱き,御息所は失神する。還御して浄蔵法師の加持により御息所は蘇生したと伝える。類話は《今昔物語集》巻二十七-2,《古本説話集》上-27,《宇治拾遺物語》151にみえるが,御息所のことはない。河原院に宿泊して鬼に取り殺された女の話が《今昔物語集》の同巻17話にみえるのを考え合わせると,平安時代の後期には河原院が融の霊を主とする霊鬼のすみかと考えられていたらしい。《十訓抄》巻五に融の霊の抜苦(ばつく)のため宇多院が7ヵ寺に命じて諷誦せしめたことを伝え,《続古事談》巻四にも同話を載せ,融の子仁康聖人によって河原院が寺とされ,のち祇陀林寺に移したと伝える。現在,本覚寺(下京区)や錦天満宮(中京区)には塩竈社があり融をまつる。嵯峨の清凉寺は融の山荘棲霞観跡と伝え,俗に融の墓と称される石塔(淳和天皇の子恒寂法師の供養塔とも)がある。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「源融」の意味・わかりやすい解説

源融【みなもとのとおる】

平安初期の廷臣。嵯峨天皇の皇子,母は大原全子。源朝臣の姓を受け臣籍に下る。仁明天皇の養子となる。左大臣にまで昇進したが,藤原良房・基経らの執政下で権勢を振るえなかった。884年陽成(ようぜい)天皇が退位すると,融は皇位への野心を示したという。賀茂川のほとりに河原院(かわらのいん)を営み豪奢な生活を送り,河原左大臣と称された。河原院は陸奥の塩釜を模したとされ,毎月30石の潮を池に運び入れ,塩屋で焼く煙が立ち籠めたと伝える。また嵯峨の清凉(せいりょう)寺(現京都市右京区)は融の山荘棲霞観(せいかかん)跡と伝え,融の墓と称される石塔がある。
→関連項目平等院

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朝日日本歴史人物事典 「源融」の解説

源融

没年:寛平7.8.25(895.9.17)
生年:弘仁13(822)
平安初期の公卿。河原左大臣と称される。嵯峨天皇の第8皇子で母は大原全子。元服後,義兄の 仁明天皇の皇子となる。源の姓を賜り臣籍に下り(賜姓源氏,いわゆる嵯峨源氏),斉衡3(856)年参議に任じられた。このとき公卿の顔ぶれに嵯峨源氏が4人もおり賜姓源氏の力が大きかった。貞観14(872)年左大臣となるが,下位の藤原基経が摂政となったことで政界を去り,風流生活を送る。その場となったのが京内の鴨川近くに営んだ河原院をはじめ京外の宇治や嵯峨の別業(別荘)であった。嵯峨のそれは棲霞観(現在の清凉寺)と呼ばれた。河原院については,のちにゆずりうけた宇多上皇に融の亡霊が現れて怨みを述べたが,道理に服して消え去ったといった話が『今昔物語集』にある。能の「融」はこうした伝説を下敷きに作られたものである。「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」が百人一首にとられている。光源氏(『源氏物語』の主人公)のモデルのひとりに挙げられている。<参考文献>山中裕『平安人物志』

(朧谷寿)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「源融」の意味・わかりやすい解説

源融
みなもとのとおる
(822―895)

平安前期の歌人。嵯峨(さが)天皇の皇子。838年(承和5)臣籍に下り、872年(貞観14)左大臣に上り、左大臣在職24年。生来、風流を好み、鴨(かも)川のほとり東六条に四町四方を占める大邸宅河原院(かわらのいん)を営んだことから、河原左大臣とよばれた。奥州塩竈(しおがま)に模した河原院の名園は文人貴公子の社交場となったが、死後は荒廃した模様である。この河原院と融の大臣を題材とした夢幻能に『融』がある。勅撰(ちょくせん)所載歌は『古今集』以下四首。

 みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに
[島田良二]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「源融」の意味・わかりやすい解説

源融
みなもとのとおる

[生]弘仁13(822).京都
[没]寛平7(895).8.25. 京都
平安時代初期の廷臣。河原院 (かわらのいん) ,河原大臣と呼ばれた。嵯峨天皇の皇子。母は大原全子。仁明天皇の皇子となって承和5 (838) 年内裏で加冠,正四位下に叙せられ宸筆の位記を与えられた。以後,累進して貞観6 (864) 年には中納言,陸奥出羽按察使となり,同 12年大納言,同 14年左大臣,仁和3 (887) 年従一位となった。陽成天皇の退位に際しては皇位を望んだが,藤原基経に止められて果さなかった。鴨川のほとりに豪壮な邸宅河原院を営み,その生活は華美をもって聞えた。嵯峨の山荘を棲霞観といい,また宇治の別荘はのちに平等院となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源融」の解説

源融 みなもとの-とおる

822-895 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
弘仁(こうにん)13年生まれ。嵯峨(さが)天皇の皇子。母は大原全子。嵯峨源氏。斉衡(さいこう)3年(856)参議。貞観(じょうがん)14年(872)左大臣にすすみ,従一位にいたる。皇位に希望もあったが藤原基経におさえられたという。河原左大臣とよばれ,豪奢な風流生活で有名。寛平(かんぴょう)7年8月25日死去。74歳。贈正一位。
【格言など】みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れ初(そ)めにしわれならなくに(「小倉百人一首」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「源融」の解説

源融
みなもとのとおる

822~895.8.25

河原左大臣とも。平安初期の公卿。嵯峨天皇皇子。母は大原全子。仁明(にんみょう)天皇の養子となった。源朝臣を賜り臣籍降下。838年(承和5)元服し正四位下。856年(斉衡3)参議。時に従三位。864年(貞観6)中納言。870年大納言。872年左大臣。888年(仁和4)阿衡(あこう)の紛議を判じた。895年(寛平7)正一位追贈。「大鏡」に陽成天皇の譲位に際し,皇位を望んだとみえる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「源融」の解説

源融
みなもとのとおる

822〜895
平安前期の公卿
左大臣。嵯峨天皇の皇子。陽成天皇廃位のとき帝位を望み藤原基経にはばまれ,以後不振。豪奢な邸宅河原院(東六条院)をつくり,河原左大臣といわれ,風流の生活を送った。

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世界大百科事典(旧版)内の源融の言及

【竹取物語】より


[作者について]
 このような世界を描き出して見せた作者は,現実の貴族社会の俗悪面に矛盾を感じつつも,なお人間世界での清純なものにあこがれた人で,和・漢・仏教等の教養ゆたかな男性であったようである。作者については,従来,源順(したごう),源融(とおる),僧正遍昭,斎部(いんべ)氏の一族などの諸説があるが,確証はない。《竹取物語》は,上述したごとく,対照的な要素を,伝統的な形態の中に創造的な契機をふくめて,巧みに描き出した物語で,たわいなく,おもしろく,美しく,深みのある作品である。…

【融】より

…世阿弥作。シテは源融の霊。旅の僧(ワキ)が都に着き,河原の院の旧跡を訪れると,潮汲みの老人(前ジテ)がやって来る。…

※「源融」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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