源兵衛島村(読み)げんぺいじまむら

日本歴史地名大系 「源兵衛島村」の解説

源兵衛島村
げんぺいじまむら

[現在地名]松任市源兵島町げんべいじままち

源兵衛島新村南西に位置し、南は水島みずしま村・番田ばんだ村。水島村との境を北陸街道が通り、水島宿の半役(駅馬数二〇匹)を勤めた(改作所旧記)。元禄一一年(一六九八)の覚(同書)に「正保之御絵図に、石川郡水島村与源兵衛島村之間に一里塚御座候得共、只今一里塚崩申候哉無御座候」とある。相宿であるため正保元年(一六四四)居屋敷二七軒分(高八石一斗)の地子を免許された(同書)正保郷帳によると高三三六石余、田方二〇町三反余・畑方二町一反、ほかに新田高一三〇石余、田方六町八反余・畑方一町八反余。寛文一〇年(一六七〇)以前に源兵衛島新村(高一一石)が分村。同年の村御印では高四七七石、免四ツ八歩、小物成は油役八匁(退転)、川役一五目(出来)、室役一〇匁(退転)であった(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報