満月寺(読み)まんげつじ

日本歴史地名大系 「満月寺」の解説

満月寺
まんげつじ

[現在地名]大津市本堅田一丁目

琵琶湖にはり出した浮御堂で知られる。臨済宗大徳寺派。海門山と号し、本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、康保期(九六四―九六八)源信による創建と伝え、漁師の多い地で成仏できない魂が多くさまよっているとして自刻の阿弥陀仏一千体を安置し、浮御堂と称したという。室町後期には大徳寺派に改宗したといわれるが、つまびらかではない。

浮御堂は、湖上を往来する船にとって灯台のような役割をもったと思われるが、近江八景の一つ「堅田落雁」で知られる堅田かたた景観の中心であり、「近江名所図会」などにも描かれている。松尾芭蕉は元禄四年(一六九一)堅田浦で催された観月会で、「鎖あけて月さし入れよ浮御堂」の一句を詠んでいる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「満月寺」の意味・わかりやすい解説

満月寺
まんげつじ

滋賀県大津市本堅田(ほんかたた)町にある臨済(りんざい)宗寺院。山号は海門山。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。琵琶(びわ)湖の西岸にあり、境内から湖水に向かって設けられた橋の先端に建つ宝形(ほうぎょう)造の小堂は「堅田の浮御(見)堂(うきみどう)」としてとくに有名。もとは天台宗で、長徳(ちょうとく)年間(995~999)に比叡山横川(ひえいざんよかわ)の恵心僧都(えしんそうず)源信が、湖上の安全を祈願して自刻の千体阿弥陀(あみだ)仏を安置したのに始まる。中世には臨済宗大徳寺派に属したが、戦火にあうなどして荒廃。江戸時代になると大徳寺の協力を得て復興した。現在の浮御堂は、1937年(昭和12)の再建。この付近は「堅田の落雁(らくがん)」として近江(おうみ)八景の一つにも数えられる景勝地で、松尾芭蕉(ばしょう)をはじめとして一茶、歌川広重(ひろしげ)など多くの文人墨客も訪れて、文学・絵画の題材とされた。本尊の木造聖観音菩薩坐像(ざぞう)は平安時代の作で国重要文化財。

水谷 類]


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百科事典マイペディア 「満月寺」の意味・わかりやすい解説

満月寺【まんげつじ】

滋賀県大津市本堅田町にある臨済宗大徳寺派の寺。本尊阿弥陀如来。近江(おうみ)八景の一つ。堅田の浮御(見)堂,千仏閣とも。宝形造仏堂が琵琶湖上にある。10世紀末,源信草創。のち荒廃したが,17世紀末,大徳寺の湘南宗【げん】(しょうなんそうげん)が再興観音堂の観音座像は重要文化財。ほかに千体阿弥陀仏像がある。

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世界大百科事典(旧版)内の満月寺の言及

【浮御堂】より

…滋賀県大津市にある臨済宗大徳寺派の寺。海門山満月寺と号する。琵琶湖上に宝形造りの仏堂が建てられ,俗に〈堅田の浮御堂〉と称される。…

※「満月寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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